木曜日, 4月 30, 2009

スナップエンドウの最盛期

春分から1ヶ月が経って 日が長くなり 夕日の沈む時間も30分近く 遅くなっています。
 農園からの帰り道 神田川の低地を渡って陸山(久我山)の丘に立つと 夕日が真正面に見える場所があります。

 今日は 雲一つない快晴で 大きな夕日が 煮えたぎる溶解金属の塊に見えます。
 春分の頃は 丸い樹の左側(南)に夕日は沈んでいましたのに 右側(北)に移っています。 その夕日の写真を撮りました。

 この時期の気温は 夏日と 冬の寒さが戻る寒い日があって 寒暖の差が激しく上下します。 
 畑の野菜にとっては 朝の最低気温が気になりますが ここ十年間の平均気温ベースでみますと 1月の間に 6℃ほども高くなっています。 野菜の生長が急になったのが頷けます。

 今 収穫の最盛期にあるのが 右の写真のスナップエンドウです。
 ここは 70~80cm四方の面積に 8株のエンドウが植えてあります。 その角々に2.4m の支柱を建てて 胡瓜ネットをぐるりと卷き 細長い行灯型にしてあります。
 エンドウは お互いに絡み合って 行灯の中で 細長い柱の様になっています。 従って 極めて軟構造の建物で 911テロで有名なNY のワールドトレードセンタービルの様です カラスのテロに突っ込まれると一溜もないでしょう。

 今 エンドウの花は 110階建のセンタービルに例えると 80~90階の高さに咲いています。
 そして 収穫期の実は 40~50階の辺りで 建物の内部にも多く生っています 両手を入れて 実をハサミで切り取るのは 結構 難作業です。
 数日おきのペースで 収穫をしていますが 左の写真は 今日収穫したスナップエンドウです。

土曜日, 4月 25, 2009

4月の庭の花

 胡瓜の苗を定植し終えたら 冷たい雨の一日になりました。
 今 庭に咲いている花の写真をアップします。

 始めの写真は やっと咲き出した 紫色の都忘れです。
 都忘れの由来は 順徳帝が佐渡に流され 花の紫の色に 京の都の色を合わせ この花で「都を忘れることにしよう」の言葉に依るとの記録があります。 
 一方「いかにして 契りおきけん 白菊を 都忘れと名付くるも憂し」の歌から 名付けられたとの記録もあり こちらは白色の都忘れです。

 十年以上も前に 伊豆の山荘に 一面に生えていたのは 紫色の都忘れでした。
 それを数株持って来て 庭に移植しました。 そして 伊豆では 少数派であった 白色の都忘れを 一株だけ移植しました。 ところが 庭では 年々紫色が減り 白色が多数派になり 今年は この紫色の一群だけが やっと咲きました。
 アジサイの花の色は 土壌の酸性度に因って変わると言います。 伊豆と此所の庭との 土壌酸性度の比較測定はしていませんが それが原因かも知れません。

さて 次の写真は エビネランです。
 これも此所の主として 長年この場所で 4月の中頃になると 地味な花を咲かせます。
 昨年の写真と見比べてみると 右と左に少しずつ 株が増えているように思えます。
 各地の自生エビネランは 減少傾向にあると 言われています。
 庭のこの場所がエビネランに気に入られているとすれば 結構なことです。

 左の写真は 立浪草です。 
 15cmほどの 小さな花ですが 同じ方向に咲いている様子はネーミングの巧みさを感じさせます。

 以上のどの花も 日本が原産地の花だそうです。
 かれらは 土着植物の逞しさによって 手入れの行き届かないこの庭でも 永く居り続けられたのでしょう。 

月曜日, 4月 20, 2009

その後の ソラマメ

 先週末 夏野菜の苗が 一斉に売り出されました。
 農園の どこの畑も 早速 胡瓜・ナス・トマト が植えられました。 夏野菜のトンネルが並ぶと 今迄の殺風景な眺めが 農園らしくなりました。
 うちの畑は トマトは定植が終わっていますが 胡瓜は継木苗が23日に到着の予定ですし ナス・シシトウ等の苗は 温室の中です。
 畑には まだ冬の名残が残っています。 カキナやカラシナ それに 2月蒔きのホウレンソウや小松菜も 冬の間はこちらのペースで 好きな時に収穫を続けていましたが この暖かさで こちらの都合は無視され 収穫を強要されています。
 夏野菜の苗が出来るのを待つ間 毎日収穫する これら葉物野菜で 少々食傷気味です。

 左の写真は 目先を変えてくれる スナップエンドウで これは採れ始めました。
 現在 目の高さで 白い花がいっぱいに咲き その下に 実が生っています。
 スナップエンドウの向こうに見える大きなトンネルは ソラマメが入っています。
 銀線入り 幅1.8m の防虫網で ソラマメを両側から挟む格好で 高さを確保したトンネルです。
 トンネルを掛けていないソラマメには 最近 羽根を持ったアブラムシが着き始めています。これが来ると 数日のうちに ソラマメの茎や花芽が見えなくなるほど びっしりとアブラムシが増殖します。 御陰様でトンネルの中では 羽根アブラムシの姿は見えていません。

 右の写真は トンネルの中で空を向いて伸びている ソラマメの様子です。
 いまでも 株元から 脇枝が勢いよく伸びます 見付け次第 切り取って 1株に6脇枝をキープしています。
 また 7〜8段以上の花房には いい実が着かないと言われていますので 実が膨らみ始めると その脇枝の芯止めをしました。 トンネルの高さも 7〜8段のソラマメが 収まる高さにセットしました。
 花がいっぱい咲いている頃は 1段の花房に5つも花が咲いてどうなることか?と思いましたが この写真を見ますと 花は咲けども 実の生るのは 一房にせいぜい2個です その他の花は 実に生らせない働きが ソラマメには備わっているようです。 

木曜日, 4月 16, 2009

目黒のらかんさん

 夜来の雨があがって 風薫る5月のような一日でした。
目黒の五百羅漢寺と 隣の不動尊と 都立 林試の森公園を散策してきました。

 ここ目黒の五百羅漢像は 禅僧 松雲元慶の偉業に依るものです。
 京都に生まれ 腕のよい仏師であった松雲元慶は 23歳の時に出家し 鉄眼禅師の弟子になりました。
  そして 耶馬渓の羅漢寺で五百羅漢に出会ったことが 羅漢像を彫りたいとの強い願いを抱かせることになりました。
 師の許しを得た 松雲元慶は江戸に下って「五百羅漢造立勧化」の旗を揚げ 江戸中を托鉢して廻り 苦労を重ねるうちに 世の信を得るようになりました。
 次第に寄進の縁も広がり 積年の願いであった 羅漢像彫刻を始めるようになりました。 
 江戸の多くの人々から浄財を得て 彫り続けること15年余り「生き羅漢」と異名を取るほど 羅漢像彫刻に打ち込み 530数体の群像を 一人で彫りあげました。 この数字は 盆暮れ 休み無しで 約十日で一体のペースです。
 元禄8年(1695年) にはその功績が認められて 本所五ツ目に土地を賜り 寺が創建されました。 将軍 綱吉や吉宗の援助も得て 寺は大いに繁栄し 五百羅漢は「本所のらかんさん」と言われて 人気を集めました。
 しかし その五百羅漢も 時代がかわり 明治に入ると 廃仏毀釈の流れによって 二度の移転をよぎなくされ 明治41年に 目黒のこの地に移ってきました。 その後 大正 昭和の間は 更に衰退して 雨露をやっと凌ぐだけの無惨な状態が続きました。 五百羅漢像も飛散の憂き目に遭い 今は305体の像が残って ここに安置されています。
 昭和56年に 現在の近代的なお堂が完成し 「目黒のらかんさん」と親しまれるようになりました。

 梅原 猛 さんが 半世紀以上前に「羅漢 (仏と人のあいだ) 」と題する本を著されています。
 その中で ”羅漢も もともとは中国産の像である。そして、異国風の仏像の崇拝には、いつも緊張が伴っている。日本の仏教信仰には、過度に緊張して 背伸びした姿があった。その姿は、明治になって外国文化を受け入れる場合も続いた。” ところが 五百羅漢像たちは "そういう文化移入の緊張からはまったく解放されているようである。 民衆のくつろぎ、一服したところの姿が、ここにある。 作者は、羅漢の名において、人間を、ごくふつうの人間をつくったにすぎない。” このやうなことを書いておられます。
 人っ気の無い 静かな堂内で 普段 其所いらで見かけるような実物大の顔 それぞれに対面していると その羅漢さんから 語りかけられるようで 落語「五百羅漢」の情景がリアルに浮んできます。(残念ながら 堂内の羅漢像は 写真撮影禁止になっています。)

 羅漢寺の隣にある目黒不動尊は 3代将軍 家光の威光で 併せて五十三棟に及ぶ華麗なる伽藍の復興が成し遂げられ 当時は 目黒御殿と称されるほどでした。
 現在も 各お堂は極彩色が施され 往時の繁栄を彷彿とさせるものがあります。
 この不動尊は 江戸五眼不動のうち 東海道(黒色)沿いに在ることから「目黒不動」と呼ばれ 目黒の地名も ここに由来する とも言われています。
 写真は 参道 入口の仁王門です。 広い境内のあちこちの八重桜が満開で 彩色のお堂にフィットしていました。

 往時は 目黒不動尊の門前町として栄えたであろう商店街を通って ワンブロックほど歩くと 林試の森公園の鬱蒼とした森に入ります。 此所は 元「林業試験場」で 東西700m 南北250m 一周するのに45分かかる 広さがあります。
 木漏れ日の道を通ると 心地よい風が吹き抜けて 23区内に こんな別天地があろうとは 夢の様です。
 写真は 外来種の高木が 数多く植え込まれている地域に立つ 高さ30メートルを越す 白い木肌の巨木です みずみずしい新芽が吹き出しているのを 撮りました。 

土曜日, 4月 11, 2009

トマトの定植・花蘇芳


2日前に定植した トマトは 一段花房の3花が咲いたので トマトーンを付けました。
 恒例の立春種蒔き以来 ちょうど60日目に一段花の蕾が膨らみ 圃場の準備をして 暖かい風の無い日を選んで定植しました。
 今年は トマトの畝幅は1m ほどしか割当られず 株間50cm の1条植えにしました。 例年同様 背丈の高い苗を寝かせ植えして 4枚目の本葉まで土に埋めると 花房は次の根の位置まで来ます。 しかし 一晩経つと トマトは頭を持ち上げますので その位置に 仮支柱を建てて ぐらつきを止めました。
 活着するまで 3日間は 毎日 500cc ほどの水遣りをしますが 活着以降は 原則として 水は一切遣らず 根を地中深く張らせます。
 若木の段階で アブラムシは避けたいので ぎりぎりまでトンネルの中で育てます。
 開墾畑の 土ころゴロゴロの土壌ですが 何とか頑張っていい実を着けてほしいのもです。 


 花蘇芳は 桜が散る頃 枯枝に突然 赤紫の花をいっぱいに着けます。
 近くに建つ倉庫の周りに 珍しく10本ほどの花蘇芳が並んで植えられていて 今 満開でした。
 かっては この時期に 街を歩くと あちこちで家の塀から 頭を出していて はっと見向くことがよくありました。
 うちの庭にも 3メートルほどの高さの 花蘇芳が咲いていましたが 何年か前に 枯れてしまい 今は その挿し木の一本が 植木鉢の中で ささやかな春を告げています。

火曜日, 4月 07, 2009

2月蒔きの葉物野菜


農園に行く時 何時も通る 神田川沿いの桜も ご覧のとおり 満開になりました。
 今年は 途中で寒い日もあり 咲き出してから満開まで 半月ほど桜を眺めてきました。
 4月に入ってからは 暖かい日が続き 一気に 花が開きました。
 神田川のここから上流(写真の方向) は 水源地の井の頭公園にかけて 桜は今が最高です。

 この陽気で 農園の野菜も 生長が急になりました。

 ここの農園は 元はキウィー畑だったと言われていますが 一部を除いては 建築廃棄物の処分場並みで ひどい土壌です。 たたみ一畳分ほどの面積の所を ショベル一つ分の深さだけ耕すにも 何時間もかかってしまいました。
 石や廃材を掘り出した後に 堆肥や腐葉土や有機物肥料をタップリ入れて 2月の20日過ぎに ホウレンソウと小松菜を 5筋づつ蒔きました。
 種蒔き後はベタ掛布をかぶせ 防虫網と穴空きフィルムの2重掛けトンネルで保温に努めました。
 まだ 2月の終わり頃は 陽当たりのいい日は トンネル内の温度は15℃以上に上がりますが 明け方は 氷点下になることもあります。
 そのような中で 今回は 10日ほどで発芽が揃いました。

 種蒔きの時に時間をかけて 種の間隔を揃えて 丁寧に蒔いていますので 発芽後の第一回の間引きはしません。 本葉が出揃ったら 除草と混み合った所を間引きしています。
 そして 株がしっかりしてきたら 2回目の間引きと かなり強めの中耕と 追肥と 土寄せを一気にしました。
 それから 一週間経った写真です 急に気温が上がった この一週間の生長スピードはかなりなものでした。

 ところで ホーレンソウの写真では右の2筋 小松菜の写真では左の2筋は 他の3筋に比べて やや小振に見えないでしょうか?
 実は 葉物の追肥は 通常 ボカシ肥を中耕の溝に遣っていますが ボカシ肥が3筋分しか足りなくて 2筋は888の化成肥料を遣りました。 陽当たりは むしろ2筋の方が良いので この違いは ボカシ肥の効能か? もしそうなら いい実験結果を得たことになりました。   

金曜日, 4月 03, 2009

温室の苗

ただいま 温室の中には トマトとシシトウの苗が入っています。
 トマトは播種後 2ヶ月弱 シシトウは約半月が経っています。


 右の写真は 中玉トマト「フルティカ」の先端部分です。
 1段花の蕾も大きくなり 間もなく開花です 2段の花芽も点々と見えています。 ここまでは ほぼ予定通りの線で進んでいます。
 また 1段花房 下の脇芽もシッカリしています。 今年のフルティカは 昨年のテスト結果をふまえて 全株共2本仕立にする計画です。 
 2本仕立も どの脇芽を伸ばすか? 主枝の芯は止めるのか否? など 仕立方にいろいろありますが 今年は 写真に見えている 主枝とその下の脇枝の 2本を伸ばすつもりです。 なお この脇枝以外は全て 芽の小さい中に 摘取っています。
 1段花房の 一番花が開花すると 畑に定植しますので 畑の準備をしなければなりません。 桜の花見も終わり この週末から かかりましょう。


 左の写真 シシトウの苗は やっと本葉が出始めた段階です。
 種類は 昨年から作り始めた 大型シシトウの「福耳」 と 毎年作り続けている「伏見甘長」の2種類です。
 種の値段が高くなったので 1ポットに種は1〜2粒づつ蒔き 苗の予備は ポットの数で対応しています。
 これら シシトウ類の定植予定場所は 現在のソラマメの後地を考えていますので 3月のままのゆっくりペースで 育ってもらって結構なのですが。