振り返ってみますと 昨秋は 新しいことに取り組む 気分的な余裕もなく 菜園に対しても なんとなく 漫然とやっていたような気がします。
唯一の新しいことは この「エシャロット」だけです。
「エシャロット」と言っても ラッキョを植えて 春の芽を摘み取って 食べるだけのことで そう目新しいことでは無いのですが。
8月の終りに思いつきで買った 種ラッキョの 一袋には 100粒ほども種が入っていて 植える場所探しに悩み あちこちに分けて 少しづつ植えました。
さて 右の写真は 九条ネギの通路際の空き地に植えた一筋です。 株間8~10cm 深さ3~4cm に2粒づつ植えて 発芽後1ヶ月に 888化成肥料を バラ撒いて土寄せしたエシャロットの 11月下旬頃の様子です。
2月になったら もう一度 軽く追肥をしておくと 4月には 穫れたてのエシャロットがたっぷりと戴けると 楽しみにしています。
写真には写ってませんが 九条ネギの手前には例年通り 西洋ネギが植っています。 九条ネギと同時に 春の彼岸に種を蒔きました。
6月に 仮植えをして 9月に 九条ネギよりも深目に溝を掘って定植をし 3回の追肥・土寄せの後 霜が降りてネギの甘味が増してから収穫しました。
今年は 入院中 雑草抜きも 何の世話もせずに放ってあったにもかかわらず 気候が良かったのか 例年以上に 太くなり 贔屓目で見ると デパ地下の売店に並んでいる商品なみに見えるのは 勝手なものです。
いつもの通り白い部分を 4~5cm の小口切りにして コンソメ味でぐつぐつと30分ほど煮ると 甘味が出て シャレタ小皿の一品になります また 葉の青い部分は スープストックとして戴きました。
例年は7月中に種を蒔く 茎ブロッコリーや カリフラワーは 病院の検査のために 時間が取れず やっと8月の暮れに種を蒔いて 9月の下旬に定植をしました 約1ヶ月以上の遅れでした。
例年は11月には穫れる 早生種カリフラワーも 今回は12月の下旬になって やっとご覧の花蕾が現れてきました。
やはりカリフラワーの品種選びは それなりの 適期に育てないと 大きさも 食感も劣ることが分りました。
このブログは 小さな家庭菜園での野菜作りを中心に 写真を付けて メモ風に書いています。 平素 ”目肥” 即ち よく観察をして 野菜の要求を悟り 即時に対応するよう心がけています。 さて このブログを通じて 多くの家庭菜園 愛好の方々と お交わりが出来たことに感謝しています。 これからも「菜園ブログ」の軸はぶらさないで 少しづつ 範囲を広げながら 続けて行きたいと思っています。
水曜日, 1月 21, 2015
月曜日, 1月 12, 2015
秋野菜を振り返って(1)
この時期の農園には 時々ネギや大根の収穫に出がけますが この辺りの土質は 関東ローンの赤土で 霜柱が 溶け出すと 畦道はぬかるんで 長靴を履いていても 歩けない状態になります。 その上 空っ風は吹きつけて寒いし ほとんど人影を見かけることもありません。
昨秋は 体調をくずし 病院通いに時間をとられ 秋野菜の世話は手抜きが多くなりました。
白菜は8月の末ギリギリに種をポットに蒔いて 9月の20日過ぎに 一畝に8株を定植しました。
我が家の白菜の食べ方は鍋物が多く 漬物にすることは無いので 肋の白色部が少なく 緑の葉が多い品種の 中生種が4株と 早生種を2株植えました。 それと 久し振りに肋の白色部が比較的多い品種も2株 植えました。
定植後一月足らずの時期に 入院の予定が決まったので 入院前に 早めの追肥を遣って 防虫網のトンネルをピッシリと掛けておきました。
以後 20日強の間は 農園には 見にも行けない状態で過ぎました。 入院中に 農園仲間からメールが入り 結球を始めた白菜2株の下葉が枯れかかって病気に罹っている との情報を受け この時期なら多分ナンプ病であろうと推測し 病気の伝染を防ぐ為に 取り敢えず 病気の2株を引き抜いて 捨てました。
退院後 先ず 残った白菜の消毒をして 病気の蔓延を防護しました その時の様子が上の写真です ここに写っている白菜の手前の一株が抜き取られ もう一株は この右3株おいた所にあった株です。 ナンプ病に罹ったのは いずれも緑葉の多い品種で 肋の白色が多い品種は ナンプ病にも強いようです。
その後 無事 収穫した株は 中生種は5kg 早生種は4kg と 充分な世話をしなかった割には 満足のいく出来栄えでした。
白菜も大きく育ちましたが 先日 マルチフイルムを破って 抜き取った聖護院大根もご覧の通りで 目方は 3.5kgも ありました。
監視が行き届いていないので 肌は美しくありませんが オデンや 煮物にすると さすがは美味しいです。
長大根に比べて 丸大根は 輸送梱包にコストが嵩むので 商売人は 最近扱いたく無いのでしょうか 店頭に並べられる 機会が減った様で 自分で作らないと 入手難の 貴重な野菜になっています。
昨秋は 体調をくずし 病院通いに時間をとられ 秋野菜の世話は手抜きが多くなりました。
白菜は8月の末ギリギリに種をポットに蒔いて 9月の20日過ぎに 一畝に8株を定植しました。
我が家の白菜の食べ方は鍋物が多く 漬物にすることは無いので 肋の白色部が少なく 緑の葉が多い品種の 中生種が4株と 早生種を2株植えました。 それと 久し振りに肋の白色部が比較的多い品種も2株 植えました。
定植後一月足らずの時期に 入院の予定が決まったので 入院前に 早めの追肥を遣って 防虫網のトンネルをピッシリと掛けておきました。
以後 20日強の間は 農園には 見にも行けない状態で過ぎました。 入院中に 農園仲間からメールが入り 結球を始めた白菜2株の下葉が枯れかかって病気に罹っている との情報を受け この時期なら多分ナンプ病であろうと推測し 病気の伝染を防ぐ為に 取り敢えず 病気の2株を引き抜いて 捨てました。
退院後 先ず 残った白菜の消毒をして 病気の蔓延を防護しました その時の様子が上の写真です ここに写っている白菜の手前の一株が抜き取られ もう一株は この右3株おいた所にあった株です。 ナンプ病に罹ったのは いずれも緑葉の多い品種で 肋の白色が多い品種は ナンプ病にも強いようです。
その後 無事 収穫した株は 中生種は5kg 早生種は4kg と 充分な世話をしなかった割には 満足のいく出来栄えでした。
白菜も大きく育ちましたが 先日 マルチフイルムを破って 抜き取った聖護院大根もご覧の通りで 目方は 3.5kgも ありました。
監視が行き届いていないので 肌は美しくありませんが オデンや 煮物にすると さすがは美味しいです。
長大根に比べて 丸大根は 輸送梱包にコストが嵩むので 商売人は 最近扱いたく無いのでしょうか 店頭に並べられる 機会が減った様で 自分で作らないと 入手難の 貴重な野菜になっています。
木曜日, 1月 01, 2015
明けまして おめでとうございます
明けまして おめでとうございます。
昨年 夏前に 思いもよらない 内臓の異常が発見され、以来 検査や 治療などで 今迄あまり縁の無かった医者通いに時間をとられました。
かかる次第で 菜園ブログもご無沙汰に過ぎて 失礼致しました。
新年を 迎え 厄落としも兼ねて 初詣に行ってきました。
初詣は このところ毎年 自転車で行ける神社にお参りしています。 今年は片道30分程の所にある「大宮八幡宮」に詣りました。
社伝によると「九百年前の 1063年 に、源頼義が勅命を奉じて奥州の豪族阿部氏を征伐し 凱旋の折 京の石清水八幡の分神を勧請し 建立した」とあるくらいの古社ですし、また 昔から武藏三大宮の一つに数えられ、社殿が大きく 境内地は 明治神宮・靖国神社に次いで第三番目に広く 都内屈指の大社ですので、新年の参拝者も多く 折からの 冬晴にも誘われ ご覧の通り大変な人出でした。 駐輪場探しには一苦労しました。
さて 社殿から振り返って 参道の方向を撮ったのが 左の写真です。 ここに見える鳥居は 三の鳥居で その向うに見えている鳥居は二の鳥居です、 その先は 参道が下がっていて 鳥居は見えませんが 神社入口に建てられた 柱径90cm 高さ8mの立派な 一の鳥居 があります。その一の鳥居から社殿まで真直ぐに続く参道は ご覧の通り 約250mもあり 道幅も広く、両側には古木が生い茂っています。 そして この道は昔の鎌倉街道に繋がっています。
神域の北側は和田堀公園を一望出来る台地で、崖下には 江戸百万人の飲み水をまかなった神田上水の支流の一つ善福寺川が蛇行しています。その 崖のふちに「大宮遺跡」の標識板があり、ここでは 弥生時代末期(3世紀末)の墓穴が発見されて、墓穴からは 完全な形の壺型土器五個と勾玉一個、ガラスの小玉12個が出土しています。 この辺りは 善福寺川と神田川に挟まれた台地帯で 石器時代の遺跡も多く発見されています、水も在り 作物も育ち 古くから 人間が住むには いい場所だった様です。
次回からは、ブログを休んでいた間に撮った写真で 恐縮ですが、秋野菜の記録を掲載するつもりでいます。 今後とも よろしくお願い申し上げます。
昨年 夏前に 思いもよらない 内臓の異常が発見され、以来 検査や 治療などで 今迄あまり縁の無かった医者通いに時間をとられました。
かかる次第で 菜園ブログもご無沙汰に過ぎて 失礼致しました。
新年を 迎え 厄落としも兼ねて 初詣に行ってきました。
初詣は このところ毎年 自転車で行ける神社にお参りしています。 今年は片道30分程の所にある「大宮八幡宮」に詣りました。
社伝によると「九百年前の 1063年 に、源頼義が勅命を奉じて奥州の豪族阿部氏を征伐し 凱旋の折 京の石清水八幡の分神を勧請し 建立した」とあるくらいの古社ですし、また 昔から武藏三大宮の一つに数えられ、社殿が大きく 境内地は 明治神宮・靖国神社に次いで第三番目に広く 都内屈指の大社ですので、新年の参拝者も多く 折からの 冬晴にも誘われ ご覧の通り大変な人出でした。 駐輪場探しには一苦労しました。
さて 社殿から振り返って 参道の方向を撮ったのが 左の写真です。 ここに見える鳥居は 三の鳥居で その向うに見えている鳥居は二の鳥居です、 その先は 参道が下がっていて 鳥居は見えませんが 神社入口に建てられた 柱径90cm 高さ8mの立派な 一の鳥居 があります。その一の鳥居から社殿まで真直ぐに続く参道は ご覧の通り 約250mもあり 道幅も広く、両側には古木が生い茂っています。 そして この道は昔の鎌倉街道に繋がっています。
神域の北側は和田堀公園を一望出来る台地で、崖下には 江戸百万人の飲み水をまかなった神田上水の支流の一つ善福寺川が蛇行しています。その 崖のふちに「大宮遺跡」の標識板があり、ここでは 弥生時代末期(3世紀末)の墓穴が発見されて、墓穴からは 完全な形の壺型土器五個と勾玉一個、ガラスの小玉12個が出土しています。 この辺りは 善福寺川と神田川に挟まれた台地帯で 石器時代の遺跡も多く発見されています、水も在り 作物も育ち 古くから 人間が住むには いい場所だった様です。
次回からは、ブログを休んでいた間に撮った写真で 恐縮ですが、秋野菜の記録を掲載するつもりでいます。 今後とも よろしくお願い申し上げます。
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