このブログは 小さな家庭菜園での野菜作りを中心に 写真を付けて メモ風に書いています。 平素 ”目肥” 即ち よく観察をして 野菜の要求を悟り 即時に対応するよう心がけています。 さて このブログを通じて 多くの家庭菜園 愛好の方々と お交わりが出来たことに感謝しています。 これからも「菜園ブログ」の軸はぶらさないで 少しづつ 範囲を広げながら 続けて行きたいと思っています。
金曜日, 8月 15, 2008
佃祭り
8月も中旬になると 菜園では トマト・胡瓜はほぼ収穫が終り ナスは強剪定をしましたので 今月一杯はお休みです。
一方 先月種播きをした カリフラワー・ブロッコリーの苗は 本葉が3~4枚になり 早くも定植の時期を迎えています。
カリフラワー・ブロッコリーはトマト・胡瓜の跡に植えますので まずトマト・胡瓜の片付けをせねばなりません。 ところが この暑さに なかなか腰が上がりません。 8月は 一年の中で最も苦手な月です。
さて 隅田川の中州にある佃島は 現在の行政区画では東京都中央区に属していますが 歴史的には徳川家康が幕府を江戸に置くにあたり 本能寺の変の時にひょんな事から世話になった 攝津国佃村の漁民約30名を江戸に招き 今の佃島に住まわせ 江戸近海での優先的漁業権も与えて保護したのが起源と言われています。
移ってきた漁民達は 攝津の国の住吉神社から分霊して 名前も同じ住吉神社を1646年に現在地に創建し 佃島の鎮守として崇めました。 斯くのごとく 強い絆で結ばれたコミュニティーが ここ佃島には300年以上も連綿と続いています。
また 佃島は戦時の東京大空襲の被害も受けず 関東大震災以降に建てられた家々の連なった街並みが そのまま残っていまます。 昔懐かしい戦前の露地がいたる所あり 窓にはスダレが掛り 風鈴の音が聞こえて 80年前にタイムスリップしたような感じになる街でもあります。
今年は3年に一度の住吉神社の大祭「佃祭り」が 古式に基づいて8月の1日~4日の間に執り行はれました。
連日ともに猛暑日でしたが 区の生涯学習講座同期の皆様方のお誘いを受けて 最終日の午後に 行って参りました。
地下鉄 月島駅を出ると 広重が描いた絵と同じ大幟が夏空にはためき 家々の軒先には粋な祭提灯が飾られ 祭衣装の老若男女と 見物人が街に溢れ 街のあちこちでは大小様々の神輿や山車太鼓がねっています まさに祭一色でした。
聞くところによりますと 佃祭りの神輿は 町内に住む10代の男女の子達から 20代 30代の男女は勿論 50代 60代の男女が主体となって 和気藹々として担がれているのだそうです。
暑い半日でしたが 今の世に失いかけている 人々の熱いものを 確かめられたような気がしました。
日が暮れて涼風を感じつつ 築地市場で新鮮な刺身をつつき 満足して家路につきました。
なお 当日の写真は 右のLinks欄の 「Picasaアルバム」をクリックして 現れる「佃祭り」でご覧いただけます。(地図もご覧いただけます)
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10 件のコメント:
アルバム拝見しました。コンテストに出品できるような写真が沢山ありますね。さすがsasagawaさん。
古い町はいいですね。最近は、地方に行っても東京と同じような景色がふえて面白くありません。その方が住みやすいのかも知れませんが、古いものも残して貰いたいものです。
ポタ様:
早速 過分のお言葉を頂き、恐縮です。
私も「新しいものが良い」と言う価値観が横溢し過ぎている様に思います。 昨日も、六本木の国立新美術館に友人の絵を見に行きましたが、ニュータウンとか ガラスの高層ビルばかりで、早々に退散して参りました。
現在では墨田区に竪川という地名は残っておりませんが、業平橋の近くで生れ4歳まで育ちましたが、こちらに来てから佃島のこと等も聞かされたことがあります。
無論、当時のことは全く覚えてはおりませんが、Picasaアルバムで下町の風情をたっぷりと拝見させて頂きました。
余談ですが、NHKの朝ドラ「瞳」が、現在ここを舞台に繰り広げられていますね。
waka3様:
よくご存知なのですね。
私は、3年程 築地で勤めたことがありましたが、川を渡って佃祭りを見に行ったのは初めてでした。 祭りと言い 街の雰囲気と言い、独特の趣がありますね。 是非大事にしたい遺産ですし、コミュニティーだと思います。
おっしゃる通り、朝ドラの舞台にもなっています、今注目のポイントです。
アルバムスライドシューで見せていただきました。
お祭りの感じが手に取るように分かりました。
それからコメントがとても面白くて、思わず笑ったりしながら見ていました。
佃島には行ったことがありません。
朝の連続ドラマで見ているくらいですね・・。
家康からの歴史があるのですね。
暑い中、お疲れさまでした。
リラ様 有難う御座いました。
祖先から引き継いだものを、皆が心を合わせて 一生懸命にする姿はいいものですね。
東京にも、この様な所が残っているのは素晴らしいと思います。
佃島は戦災を免れたのですか?近くに行くことはありましたが行ったことはありませんでした。一度行ってみたいものです。富岡八幡に行きましたが今度行ってみましょう。
築地で食べるのもいいですね。
モンカー様:
戦前の街並みを見ますと、我々の子供の頃に遊び回った時代とラップしますので、何とも言えない懐かしい気分になりますね。
築地にはこだわりの店がありますので、近海物の新鮮な魚貝類を食べるには、絶好の所だと思います。
お祭りの熱気がアルバムからも、たっぷり伝わってまいりました。高層ビルを遠目に神輿担ぎが盛大に練り歩く東京の下町っていいものですね。それに雌雄の獅子頭にもビックリしました。
写真は人物が入ると動きがあって、とてもいいですね。一瞬の表情を捉えるのもさすがです。
佃島の歴史には大変驚きました。攝津の国というと今の大阪湾あたりでしょうか。
kimama様:
祭りへの住民の方々の熱意はいいものですね。
昨年 杉並区にあるお地蔵さんのことを調べましたが、江戸時代の庶民は 一人一人が真面目で信心深く その生活は心温まるものであった様です。
今の世と比べて見ますと、実に羨ましいかぎりです。
攝津の国佃島村は、今の大阪市西淀川区佃で、大阪と尼崎の境を流れている神崎川の河口にある中州です。
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