木曜日, 12月 31, 2009

大晦日のレモンと冬野菜

 
 梶井基次郎の短編「檸檬」の中に
 丸善の本棚の前に 画書を積み上げて城を築き その頂上に置いた 檸檬の色彩はガチャガチャした色の諧調をひっそりと紡錘形の身體の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。 と言うようなことを書いてありました。
 また 彼が その檸檬を買った京都の老舗果物店「八百卯」(やおう)は 今年の1月に閉店した との新聞記事を読んだことも思い出しました。 
 さて 写真でご覧の うちのレモンは 小さな植木鉢に植えてありますが 今年は2個の実が色着きました。 毎年 春 一斉に花が咲くと 絵筆を持って 一花づつ 受粉をしています。 しかし 実に成るのは2~3果がせいぜいで 限られた枝にしか実は着きません。 
 要はこの小さな植木鉢では根が張れず かわいそうなのです。 陽当たりのいい所に 地植えしてやりたいのですが 適当な場所が無いまま 今年も大晦日になってしまいました。

 農園は いつも変わらない 年の瀬の風景です。

 白菜は 空っ風で 外葉が枯れて千切れないように 大きな外葉で被って 紐で縛っています。毎年 これをポンチョ姿と言っています。 
 写真を見ると 今年の白菜「王将」は胴が張って かなりなメタポです。
 カタ太りですから 目方は 5kgはあるでしょう。 
 最後まで 畑に残った「王将」が 捩じり鉢巻きをして頑張っている様です。

 次の 正月用のホウレンソウも 予定通り収穫適期になり 葉色が濃くなって 栄養満点に見えます。
 このホウレンソウ「オーライ」は 日本種と西洋種の交配種ですが 冬の寒い時期は 葉の形は三角形が目立って 日本種が優生になっているように思います。

 奥に見えているのはニンニクです。
 この時期 ニンニクは冬眠中なのか? 生長は止まっているように見えます。

 茎ブロッコリーは 既に幾度か収穫をしていますが この時期のブロッコリーは甘みがぐんと増して 別種類のように美味しくなっています。
 また 下の方の葉の脇から 太く勢いのある脇芽が伸びてきています。 大きくなった葉を分けて 株の中をよく見ないと 穫り遅れになりがちです。


 今年1年 菜園の野菜とのお付合いを 振り返ってみますと 悲喜交々 緊張した関係で過ごすことができました。 また 学校でのプランター栽培についても 新たな展開を見たことは 記録されるべきことでした。
 来年も 野菜作りと そのブログへの掲載を続けたいと思っています。 変わらない お付合いをいただきますようお願いいたします。
 どうぞ良いお年を迎えられますように お祈り申し上げます。

火曜日, 12月 22, 2009

お茶の水 界隈を散策


 通勤にずっと利用していた中央線快速電車は 当時 殺人的な混雑でした。
 電車がお茶の水に着くと やっと 乗る客よりも 降りる客が多くなり 車内に空間が出来て 窓の外に目をやる余裕ができます 発車して聖橋をくぐると 右の窓にニコライ堂の青い丸屋根が見え 左には湯島聖堂の瓦屋根が見えました。
 ニコライ堂も湯島聖堂も そのうちに一度訪ねてみよう と思っていましたが それから ウン十年が過ぎてしまいました。

 テレビドラマ「坂の上の雲」にあやかって 司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズを開いてみると その三十六巻「本所深川散歩・神田界隈」に ニコライ堂や湯島聖堂について書かれています。
 師走の冬晴の一日 仲間6名で そのコースを歩き 積年の思いを果たしました。(写真面をクリックすると 大画面がご覧いただけます)
 ニコライ堂の建っている駿河台と 湯島聖堂のある湯島台地とは もとは繋がった一つの台地でした。 家康が江戸の城下町を造るにさいし 神田川の上水を日本橋・浅草方面に流すために 台地の真ん中に「神田お茶の水掘割」の大土木工事を行い 現在の姿になりました。

 この官学としての湯島聖堂(正称は昌平坂学問所)が出来たのは 関ヶ原のあと二百年ちかくもたった 十一代将軍 家斉 のとき(1790年)でした。 それ以前 元禄年間に 五代将軍 綱吉が孔子廟を建てて「大成殿」と名づけた建物が この写真です。 なお現在の建物は 関東大震災後 昭和十年に建て直されたもので 木造風ながら鉄筋コンクリート造りだそうです。
 境内に植えられた 楷の木が黄色く色づいていました。 楷の木は 曲阜(きょくふ)にある孔子の墓に植えられている木で 枝や葉が整然としているので書道で言う楷書の語源となった木だそうです。

 なだらかな坂道を歩くと 右手上に神田明神の派手な門が見えます。
 正月にそなえて 脚立を建て 大掃除の最中でした いかにも せっかちな江戸っ子らしさです。 
 「江戸総鎮守」の大きな表札が かかっています 江戸時代には 歴代将軍の尊崇をうけていた証拠です。 さらに 京都の祇園祭 大阪の天満祭り とならび日本三大祭りの一つとしてにぎわっていました。
 司馬さんは次のように書いておられます。
”明治の世になると、祭礼は相変わらずながら、社格と言う点では、東京の府社にすぎなくなった。 3大祭りの一つの祇園祭を持つ京都の八坂神社が旧官幤大社だったことをおもうと、残念な気がする。
 ひとつには「延喜式」による式内社ではなかったということもあり、ひとつには偏って徳川氏の庇護をうけすぎたということもあり、さらに考えると、祭神が 朝敵だった平将門だったということで、明治の世に適いにくかったのかもしれない。” 

 湯島台地の北の端に 湯島天神があります。
 泉鏡花の「婦系図」の舞台として有名なところです。
 建物のいたるところに 梅の花模様が描かれていますが この季節 名物の梅の木々は 寒そうでした。
 江戸時代には 尋ね人の情報交換場として人の出入の多かったところで 御殿女中や僧の遊び場にもなっていたといわれています。 今は 合格祈願の絵馬が いたるところに掛けられ 世相を物語っています。
 湯島天神の坂を下ると 不忍池もすぐです。 ここまで来たのだから ということで 旧岩﨑邸庭園を訪ねることにしました。
 ここは明治29年に 三菱創設者 岩崎家の本邸として建てられたもので 現在は東京都が重要文化財として 所有・管理しています。
 現存する 洋館とビリヤード室は ジョサイア・コンドルの設計によるもので 近代日本住宅を代表する西洋木造建築です。
 館内の随所にほどこされた見事なジャコビアン様式の装飾が 往時のままの雰囲気をただよわせています。
 今日は コンドルが施工したニコライ堂で始まり コンドルが設計した旧岩﨑邸庭園で一日が終わりました。

火曜日, 12月 15, 2009

冬野菜の収穫・如意輪観音像


 ブログの更新を怠っているあいだに十二月もなかばになり 朝晩の冷え込みも厳しくなってまいりました。
 大きなイチョウの樹も 高い葉は既に散り始め 樹の周りにはギンナンが無数に落ちて あの独特の匂いが漂っています。
 まだ 低い枝に残っている葉は 陽に映えて美しく輝いて見えました。
 逆光気味にカメラを構えて レンズに日光が指すのを遮りながら 冬晴れの空をバックに撮りました。


 農園にも 久し振りに足を運び ご覧の通り 欲しい物だけはバッチリと頂いて帰りました。
 夏野菜は 自己主張が強く 消費見合いの収穫は許してくれません。 その点 今頃の野菜は 収穫者側の都合で 来たり来なかったりしても ちゃんとその分だけ大きく美味しくなってくれています。
 中生種の白菜も 胴が張って 巻きが固くなり 4キロ以上ありました。
 聖護院大根は この1本で 食事の都度 顔を会わせることになります。
 西洋ネギは 直径が5センチを超える太さになり 九条ネギ 共々 香りと甘みがうんとのってきました。


 庚申会の方々のお供をして「練馬北部の史跡散歩」に参りました。
 朝の10時から 暗くなるまで 20ヶ所以上まわり 一日で2万歩以上 歩きました。

 旧川越街道に面して 小さな阿弥陀堂と墓地があります。 
 墓地の入口の狭い道は 散ったイチョウの葉で あたかも黄色いジュータンを敷いたようです。
  小道の両側に可愛い 20体ほどの石像が列んでいます。 その一つに この如意輪観音像がありました。 角度の低い冬の陽が お顔を浮かび上がらせています 振向きざまにシャッターを切りました。
 彫られたのは江戸時代中頃で うちの近くのお寺にある如意輪観音像とそう変わりませんが お姿は小柄ですし 顔立ちも面長で 現世風に彫られているように思います。
 その頃 この辺りに居た この石工さんはどのようなひとだったのだろう と想いながらしばし眺めていました。

日曜日, 12月 06, 2009

ホウレンソウの美味しい季節


 夜来の雨も上がって 庭に朝の光が射し込みました。
 ザクロの陰で 普段は あまり目立たない この赤葉モミジも 角度の低い朝の光が ハイライトライトになって がぜん庭の主役に躍り出し 季節を告げています。
 コンパクトデジカメは赤色が出し辛く モミジを撮るのに苦心しています。 この写真も 適正露出より2段絞って撮ってみました。 
 
 温暖化のせいでしょうか 最低気温が高いように思います。 12月に入ってからも 東京の朝の気温は 連日 平均気温を2~3℃上回っています。 今日も風がなく 穏やかな日になりそうです。

 農園のホウレンソウも 横からの陽を浴びて すくすくと育っています。
 ホウレンソウの作り易い 秋から春にかけては 毎年 場所が空くと 少しずつ種を蒔いています。
 今年の第1弾は9月の中頃に蒔き ブログにもその写真を掲載しました。 その頃に種を蒔くと 40日ほどで収穫が出来ました。
 第2弾は10月の中頃 シシトウを片付けた跡地に種を蒔きました。 通常この頃に蒔くと 収穫は75日ほどかかり 正月用になります。 上の写真で 奥の方に見えるのがそれです。 
 写真の手前で 本葉が3〜4枚出ているのが 第3弾で 第1弾のホウレンソウを収穫した跡に 11月初旬に蒔きました。 これは2月の収穫になります。

 右の写真が 第4弾のホウレンソウと小松菜です。
 早生の白菜を収穫した跡に 11月の20日過ぎに種を蒔き 保温のために不織布のベタ掛けをして発芽を揃えさせました。 それでも 種蒔き後半月以上経った現在で ご覧の様な状態です。
 収穫までは 3ヶ月以上かかり 3月の収穫になるでしょう。 
 それだけ 寒い冬の間 じっくりと土の養分を吸収して生長するので 栄養・味ともに 1年中で最高のホウレンソウになります。

 なお 写真の奥に見えるのは 中生種の白菜の跡に プランターに種を蒔いて育て 一度 葉を摘み取って 今日ここに移植した チジミ葉カラシナです。 ここで育てると 3月一杯まで 都度 葉を摘み取って収穫出来ます。

日曜日, 11月 29, 2009

今年の奈良旅行


 平城京遷都1300年を来年に控えて 奈良の街は工事ラッシュでした。
 3条通りは拡幅工事で掘り返していますし JR奈良駅は駅舎の拡張建替え中でした。
 11月中旬にしては温かい日に恵まれ コートをホテルに置いて散策しました。
 初日は あまり観光客が立ち寄らない「奈良町」界隈を歩きました。
 この辺りは 狭い道を挟んで 格子窓の古い家屋が連なっている区域です。
 奈良町資料館や庚申堂や小さなお寺などが あちこちに散在しています。 ウイークデーでもあり 観光客はほとんど出会わず 道に迷うと地元の方を見つけては道を尋ねながら歩きました

 この奈良町の中心が 写真の元興寺(ガンゴウジと発音)です。
 元興寺は 仏教伝来後 始めて 正式の仏寺建築として 飛鳥の地に建てられた法興寺(飛鳥寺とも言う)が 奈良遷都によってこの地に移され 寺名も元興寺に改められた由緒在る寺だそうです。
 この建物 極楽堂は焼失後 鎌倉時代に建て直されましたが その後の荒廃が激しく 戦後 の大修理で創建当時に近い状態に復元されました。  後ろに建っている 禅堂と共に 国宝に指定され 更に '98年にはユネスコの世界文化遺産「古都奈良の文化財」の一つに登録されています。

 その日の午後は 興福寺の仮金堂で開催中の「興福寺国宝公開2009」へ 2時間行列のすえ入場し 阿修羅像をはじめ 現存の八部衆・十大弟子像 計14体を一堂で拝観しました。
 尚 お堂内の仏像は 全て写真撮影が禁止になっていますので 残念ながら仏像等の写真を掲載することが出来ません、ご了承願います。

 次の日は旧友と 近鉄西ノ京で落ち合って 北門から薬師寺に入りました。
 薬師寺と言えば 松の間から望む東塔の姿が 記憶に残っていましたが その東塔はご覧の通り工事用足場で覆われていました。 一方 建物として あまり記憶に残っていない 金堂・講堂などは 昭和50年以降の大改装により 白壁に朱色の柱 緑色の格子 黄色の垂木小口 が映える 白鳳伽藍として見事に甦っているのに驚きました。
 金堂内の薬師三尊像や 東院堂の聖観音菩薩像などの国宝の仏像は 昔変わらぬ輝きを拝観できました。
 また 大宝蔵殿に保存されている吉祥天図を見ることが出来ました。これは 縦53cm 横 31.7cmの麻布に描かれた 天平期のもので 非公開の国宝物です。 この絵を見ることが出来たたのは大変 幸いでした。
 更に 北門を出るとすぐに 玄奘三蔵院伽藍があり 平山郁夫画伯が描かれた「大唐西域壁画」も公開日で 見られました。

 薬師寺から北に4~500m行くと 唐招提寺の南大門に着きます。
 観光写真でおなじみの 屋根が印象的な金堂は 改修工事がこの秋に終えて 往年の姿を見ることが出来ました。 
 唐招提寺は 天平末期に造られた仏像群もさることながら 写真の左側 天平建築の金堂・講堂や その右側 に建っている小さな重層の舎利殿や 細長い東室の鎌倉建築 更に 写真には写っていませんが 正倉院よりも古い最古の校倉造りの 経蔵・宝蔵などの 多くの建物が 時代を超えて境内に重なり合う様子が また印象的です。
 鑑真和上像と東山魁夷画伯が奉納された障壁画は 今回は公開していませんでした。

 お昼近くになり 電車とバスを乗り継いで 法隆寺に向かいました。
 法隆寺は 修学旅行の団体と重なり ウイークデーにかかわらず賑わっていました。
 写真は 西の端にある西大門です。 ここは法隆寺でも 夢殿へ向かう人の流れの反対側に当たり 人っ気の少ない所です。 豪華な回廊もなく 鄙びた土塀が続く佇まいは 静かな法隆寺を味わう絶好の場所でした。
 壁画で有名な金堂の中に安置されている釈迦三尊を始め飛鳥仏や白鳳仏の数々。また 新装なった大宝蔵殿に安置されている百済観音や夢違観音 ほか 飛鳥時代から法隆寺に伝わる宝物を たっぷりと拝観しました。
 夢殿を見終わった頃に 雨が降り出したので 中宮寺の弥勒菩薩半跏像の拝観は取り止めて 直通バスで近鉄奈良駅に帰り 一日中ご案内を頂いた友人と別れました。
 この日は 一万歩 以上歩いたそうです。

 今回の旅行で撮った写真は Picasaアルバムに纏めました。
 お序での折にでも 当ブログ右の Links欄に有ります「Picasaアルバム」をクリックして「'09年11月 奈良・京都」をご笑覧下さい。

月曜日, 11月 23, 2009

聖護院大根・ソラマメの発芽

 かねて発注してあったパンジーの苗40ポットが届いたので 土作りから始めて1日がかりで鉢植えをしました。
 あとはクリスマス前にシクラメンの鉢植えを終えると 庭の花は冬の装いになります。

 農園では 気温が下がってきて ネギ・白菜・大根などは甘みが増し 本格的な収穫期になりました。 
 うちの聖護院大根も ご覧の通りマルチフィルムが はち切れんばかりに太り 1本 抜いて帰りました。
 聖護院大根は 煮崩れしないので じっくり煮込んで 熱々を戴くと 季節の味を感じます。
 また大根の葉も 一度さっと茹でて きざみ 炒めて鰹節をまぶすと捨てるところなく 美味しく戴けます。


 次の写真は 温室の中で やっと芽が出揃ったソラマメです。
 今年はソラマメを植える場所が農園には無く あきらめていました。
 ソラマメの種袋をふと見ると 去年の種がまだ10粒ほど残っていました 豆類の種は あまり長い間おくと発芽が悪くなる と聞きいたこともあり 庭のプランターに植えてみることを思いつきました。
 あわてて 旅行に出る前に 予備を多めにとって ポット当たり3粒の種を蒔き 窓を開け放しにした温室の中に入れて旅に出ました。 
 種まき後 半月ほどかかりましたが 一応100%発芽しました。 これで ソラマメの種は1年間は置いても 大丈夫であることが判りました。

火曜日, 11月 17, 2009

プランター野菜と写真コンテスト


 旅行などで しばらくご無沙汰していました。
 その間に庭のプランターでは どの野菜も溢れんばかりの大きさになっていました。
 始めの写真のカブは 間引き土寄せ 追肥をしただけで その後 防虫網のトンネルを外すと急にカブらしい姿になりました。
 この段階では 2本を1本に間引いて 残した方のカブが 中カブ程になったら収穫することにしました。
 間引いたカブの葉は 柔らかい割に カブの香りがして美味しく戴きました まったく捨てるところがありません。


 次の写真は 大葉春菊です。
 この春菊は 草丈が20cm程に成長すると 葉を2枚残して摘み取り 収穫しました。
 しばらく経つと 残した葉の脇から新芽が伸びてきて また1葉を残して摘み取れます。 ただ春菊は 霜に弱いので 霜除けを施しておけば 春先まで収穫が続けられます。
 この重宝な春菊は この時期の定番葉物として毎年作っています
 春菊の中でも 香りの良さは抜群で 茎も柔らかく 軽く塩茹でするだけで手軽に戴けます。

 なお 他のプランターに蒔いた 小松菜とカラシナも間もなく収穫の時期を迎えます。


 3枚目の写真は 先週 区役所のロビーで開かれた「農業写真コンテスト」に入選し 展示されたトマトの写真です。
 何時ものコンパクト デジカメで撮影し 6月に このブログに掲載した写真を A4の印画紙にプリントアウトして応募したものです。
 全部で20枚ほどの写真が展示されていましたが 区役所と言う場所がら 被写体に子供か高齢者がテーマになっている写真がほとんどでした。

追って 奈良・京都の写真は 整理が出来次第アップ致します。

土曜日, 11月 07, 2009

西洋ネギの収穫


 気温が 10℃を下回る 寒い朝もあり 秋が深まってまいりました。
 春 プランターに種を蒔いたネギも やっとシーズン到来です。
 ためしに西洋ネギを収穫して 早速 温かいコンソメ煮にバターを効かせて戴きました。

 今年の西洋ネギは 昨年に引き続いて2年目で ちょっとした試しをしてみました。
 プランターである程度育った苗を 農園に植える時期を3段階にずらせました。

 結果は 苗を早く植えると その後の株の生育に優劣がついて 収穫期には 株と株の大きさがばらつきました。
 7月なって 苗の優劣がよりはっきりついてから 大きさの揃った苗を定植するのが 無駄も無く 見た目も良くなります。
  2枚目の写真は その6月の初めに最初に農園に植え そのまま植え替えもせずに秋まで来たグループです 大きい小さいの違いがはっきり見えます。 
 この場所は 畝の最南端に位置しているので 日当りの条件が良いこともありますが 一番太いネギに育っています。 今日 初穫りしたのも このグループからです。

 一方 ネギの定番 葉ネギの「九条太ネギ」も ご覧と通り 柔らかく いい色になってきました。
 右側の列は 西洋ネギです。
 柔らかい葉ネギは 台風の被害を受けて 折れ曲がるトラブルがありましたが ここに来て 美味しそうになりました。
 若干 例年に比べて 分けつが少ない様に見えますが 日当りがあまり芳しく無いのも影響しているのかも知れません。

 来週は 定例の奈良・京都旅行に参りますので 暫く ブログの更新を休ませていただきます。

土曜日, 10月 31, 2009

早生白菜の収穫


 今年の秋は 比較的天候が安定していたか 順調に育ってきた 早生白菜「無双」を1株収穫しました。
 写真の奥に見えているのは 中生種の「王将」です。 こちらの収穫は 寒くなる来月の終わり頃でしょう。

 記録を見ますと 今年は8/16にポットに種を蒔いています。
 そして 自宅の小さな温室に防虫網を張って苗を育てました。 家での育苗は農園に比べると 目が行き届くのか 苗は早く育って 9月に入ると定植可能なまでになっていました。
 特に 早生の「無双」は 苗の生育も早いようです。
 急いで畑の準備をして 9/6に定植 いつもより10日ほど早く植えています。
 半月後の9/21 に追肥を終え この頃から葉は どんどん大きくなりました。

 カタログによりますと 生育日数は67日とあります。 10月の20日過ぎに 結球を触ってみると 固く締まって いつでも収穫が出来そうでした。 
 台風の後 土の乾くのを待って 10/28に収穫しました。 葉は虫食いがほとんど無く 根もネコブは付いていないで奇麗でした 目方は2.8kg あり 上々の白菜初穫りでした。

火曜日, 10月 27, 2009

学校のブロッコリー


9月14日付けの「学校の秋野菜」(クリックすると開きます)でアップしました 学校のブロッコリーは ご覧のように 葉も大きくなり 全数の半分ほどの頂上花蕾は すぐにでも収穫できそうになっています。

 このブロッコリーは 7/23に短大生が 36個のポットに 早生ブロッコリーの種を蒔いて 苗を育てました。 
 1ヶ月後 8/23に 大型プランター12個に 各3株づつ定植し 防虫網のトンネルを掛けました。
 以来2ヶ月の間 学校の皆さんが 水やり 追肥 虫取りの世話を日々してきました。
 今月末には収穫して 11/4からの学園祭に間に合わせます。


 夏の暑い間は休んでいた 庭の鉢植えオキザリスが咲いています。
 ビローウドの様な感触の 赤紫色の葉が鮮やかです。
 このオキザリスは 畑では厄介者の雑草として 憎まれ者であるカタバミの一種です。 
 カタバミの仲間らしく 我が家では世話らしい世話をほとんどしていませんが 毎年 春と秋には ごらんの元気な姿を見せてくれます。

水曜日, 10月 21, 2009

パソコンの更新・秋野菜たち

 使い慣れたノートパソコンの蓋が外れて ディスプレーの表示が出来なくなりました。
 '02年に購入後 7年経過していますが その間に Macは基本的なOSだけでも 3回替わっています。 Windowsも今度のセブンを加えると 3回替わっています この業界の一つの流れなのでしょう。
 しかし 部品は5年間しか保証されていませんので 蓋が壊れても 正規のルートでは部品が無く メーカーでの修理は出来ません。
 市販のディスプレーを購入して 接続すればまだ使えないことはないのですが この際 新しいパソコンに買い替え 前のパソコンに入っていたデーダーは 総て移し替えて 直ぐに 今まで通り使える様にしました。
 今回のブログ更新は その新しいパソコンでの初仕事になりました。

 農園の秋野菜達も 大きくなり 逞しくなりました。
 はじめの写真は トンネルに頭がつかえるようになったので 防虫網のトンネルが外れて 伸び伸びと葉を広げている茎ブロッコリーとカキ菜です。 蝶の姿も少なくなり 葉がボロボロにされることもないでしょう。
 茎ブロッコリーは 既に頂上花蕾が500円硬貨ほどになっています。 この頂上花蕾を収穫すると 本命の茎ブロッコリーのための脇枝が 次々に伸びて来ます。


 次の写真は いつもの聖護院大根です。
 種を蒔いて約1ヶ月後に 初めて888の化成肥料をパラパラと撒いて 土寄せをしておきました。 それまでは 肥料分はひかえて 根が 自助努力で土の中に深く伸びるのを期待しています。
 もう既に 根元はふっくらと 白く盛り上がって見えます。
 こうして見ますと 今年の大根は めずらしくゆったりと植えられています。 千鳥植えにでもすれば もうすこし数多く植えられたのに もったいないことをしました。


 最後のほうれん草の写真は 昨夕撒いたストウチュウが効いて 今朝は葉の緑が 一際鮮やかに見えます。
 込み合った所の 大きい株を収穫して 株間を広く取ると 残った株は 数日もすると また大きくなって 次々に収穫できます。
 ほうれん草の向う隣の 狭い空き地に蒔いた 第2回目の正月取りほうれん草も 揃って発芽しています。

木曜日, 10月 15, 2009

唐辛子の片付とニンニクの植付け

 使いなれたパソコンが不調のために 古いパソコンを引っ張り出して ブログの更新をしています。
 その様な次第で 写真を添付出来ませんが ご容赦願います。
 
 今年も順調に収穫を続けてきた 唐辛子の「福耳」と「伏見甘長」は 先日の台風を契機に 例年より半月ほど早く 片付けました。
 生っていた「福耳」が一度にドカット取れたので 種を取り フードプロセッサーで細かく刻んで 保存袋に入れて冷凍庫で保存しました。 こうしておくと 唐辛子が痛まないし 冷凍庫の場所もとりません。 そして 唐辛子味噌に使う時は 解凍して炒め 味噌を加えれば 何時でも唐辛子味噌を作ることが出来て便利です。 

 唐辛子を繰上げて片付たのは 唐辛子の跡地に 早くニンニクの植付けをしたかったからです。
 当初 ニンニクは 暖地系ニンニクを植えるつもりでしたが 種ニンニクが入手出来なかったので 寒地系の「ホワイト6片」を20粒ほど植えました。
 ニンニクを植えるのは始めてです 指導書に書いてある通り忠実に植付けをしました この後 どんな芽が出てくるのか楽しみです。
 
 他に 農園仲間の方に「ジャンボ ニンニク」を2球頂きました これも植える場所が無かったので 10月始めにコンテナに植付けました。
 今朝 見ると 小さな芽が出始めていました。
 「ジャンボ ニンニク」は来春になって 大きくて 目立つ花の咲くのが 楽しみです。 
 

土曜日, 10月 10, 2009

葉物のプランター蒔き・国立天文台(2)


 秋の葉物野菜の第2弾は 写真でご覧の通り 庭のプランターに 少しづつ種を蒔きました。
 手前の左はカブで 右はカラシナです。 奥は左が小松菜で 右は春菊です。
 農園には このタイミングで種を蒔く 適当な場所が無かったのでプランターに蒔きました。
 プランターを新設するにあたっては 今後 夏野菜のナス科やウリ科の野菜も植えられる 深型であること 更に 土を入れた時に 自分一人で持ち運びが出来る大きさで 且つ 合わせてトンネル掛けが出来る様に 同じ角型に揃えました。サイズは50cm×30cm×25cmです。
 種は筋蒔きにして 防虫網のトンネルを掛けました。
 本葉が出てきたので ぼちぼち2回目の間引き 土寄せのタイミングです。
 移植可能な春菊・カラシナ・小松菜は 間引き苗を数株づつ他のプランターに移植して 株数を増やします。 

 さて 前回に引き続いて 国立天文台の2回目です。
 国立天文台は その本部を ここ三鷹に置いていますが 観測施設は その研究目的に応じて 野辺山宇宙電波観測所など 国内の3ヶ所と 海外には すばる望遠鏡でお馴染みのハワイ観測所と 南米チリに建設中の80台の電波望遠鏡群 等があります。
  また それら施設の他に 筑波宇宙センターと併せて 日本のみならず世界の 宇宙観測と研究の最先端を行く 頭脳と技能があります。 

 左の写真は「4次元デジタル宇宙シアター」で写し出された 土星をデジカメで撮りました。暗いシアター内撮影で 手振れが起こっています ご容赦願います。
 地球上から 土星をこの角度で見ることは出来ませんし 子供の頃に よく見に行ったプラネタリウムでも見たことのない土星の姿です。
 この4次元デジタル宇宙シアターは 高性能な望遠鏡で観測したデーターを元に 最新のコンピューターシュミレーションを科学的に忠実に映像化した 迫力ある立体ムービーです。
 天体を空間3次元と 時間1次元の4次元で可視化した 優れた実験システムです。
 円天井に映し出される画像で 約40分間 解説を聞きながら 宇宙の端まで また数億年昔の宇宙まで 案内してもらいました。
 解説の中で語られた言葉「ダークマター dark matter」が印象に残りました。
 今 最先端の宇宙科学の世界では 目に見える物 とは別に 大きな質量を持った暗黒物質 ダークマターの存在を認めないと 宇宙構造の説明がつかないとのことです。
 18世紀の言い古された言葉「見えざる手」を連想させます。

火曜日, 10月 06, 2009

9月蒔きホウレンソウ・国立天文台(1)


ホウレンソウや小松菜など これから美味しくなる葉物野菜は 9月中旬から10月いっぱいの間に 3〜4回に分けて種を蒔いています。
 右の写真は 9月の中ごろ 小さな空いた場所が出来たので この秋の葉物第一号として蒔いたホウレンソウです。
 種は1.5cmほどの間隔で あらく筋蒔きしているので 発芽後 双葉の段階での間引きはしません。 また  本葉が3枚になる迄は 立枯れ病やベト病にも罹り易いので 透明フィルムの雨除けトンネルを掛けて 乾かし気味に育てています。
 本葉が出揃って 混み合ってきたので ご覧の間隔に間引きをし 888の化成肥料をパラパラと撒き 固くなった土を軽く中耕・土寄せして 潅水をしました。
 この後 混み合ったところは もう一度 間引きをして 収穫前に ストウチュウを1~2回葉面散布します。


武蔵野台地の南縁に 三鷹市から調布市にかけて 野川の河岸段丘が続いています。 その崖線のことを昔から ハケと呼んでいます。
 ハケの上には高い樹木が茂って 昔の武蔵野を偲ばせる風景が残っています。
 昨秋 掲載した神代植物園もこのゾーンにあって その西側に 国立天文台のキャンパスが広がっています。
 国立天文台は大正時代に 元あった 麻布が市街地化して 街灯りが天体観測に支障をきたすようになったので 三鷹市のここに移転して来ました。
 
 この写真は 鬱蒼とした樹々の中に建っている 高さ18.6mの「アインシュタイン塔」です。 建物全体が望遠鏡の筒の役割を果たして 太陽の黒点磁場の観測 太陽光スペクトルの研究などに使われました。
 この建物は昭和5年に東京帝国大学営繕課の設計で 単純な直線の建物ですが ひさしやバルコニーに曲線がとりいれられていて 当時流行のアールデコの影響が見られます。(写真をクリックしてご覧下さい)
 國の登録有形文化財に指定されている建物です。
 この他にも ドーム型の屋根を持った古い建物などが キャンパス内に建っています。

木曜日, 10月 01, 2009

秋のトウガラシ


「福耳」と「伏見甘長」は10月に入っても ご覧の通り元気です。
 6月から ずっと休み無しで実を着けて 背丈も2メートルの支柱いっぱいに伸びました。
 夏の暑い時期は 枝がどんどん先行して伸び そこに花が次々と咲きますが この時期になると 枝の伸びが鈍化して 実は先端に近い所で生っています やはり 生り疲れでしょう。 
 枝の仕立は 原則放任で 混み合った所は 弱い枝を切り取っています。 また 陽当たりと 風通しを良くするために 枝を紐で引き上げています。
 追肥は 月2回ほど 次第に株元から離して マルチに10cmほどの深さの穴を2ヶ所づつ空けて 888の化成肥料を入れ 水をたっぷり注いでいます。

 この時期になると 枝の数が多いので実の数も増えます 4〜5日も収穫しないでおくと右の写真のように 大きなレジ袋に入り切れないほど 一度に穫れます。
  福耳は タネを取って ピーマン代わり使えますし 天ぷらや 唐辛子味噌にして戴いています。
 今年は 土壌の肥効成分と水分の管理が良かったのか 例年ほどの辛さがなく 素手で調理出来ます 皆様に差し上げても 喜んでいただけます。


 先日秋晴れの日に 同好会の方々のお供をして品川界隈のお寺を廻りました。 久し振りで1万歩以上 歩きました。
 江戸時代 品川は東海道の第一番目の宿場として栄え 寺院もたくさん建っていました。 現在も 著名な人達のお墓が 数多く残っています。
 それらのお寺の一つに 大聖歓喜天で有名な天台宗大福生寺があります お寺の一隅に お地蔵さんが数体安置されています。
 古い像ではありませんが 真っ赤な前掛けと帽子を被って 俯きかげんのお顔に 秋の夕日が差している表情が愛らしく 真っ白な大輪の菊も入れて 写真に納めて来ました。

金曜日, 9月 25, 2009

白菜の追肥 ほか


大陸性高気圧の通り道になって 気持のいい晴天が続いています。
 この頃になると 白菜は秋の陽光を 葉をいっぱいに広げて受け取る姿になります。
 黒寒冷紗の遮光も外して 第1回の追肥を遣りました。
 いつものこと乍ら この作業は厄介です。
 一株一株 大きな葉を傷つけないないように そっと持ち上げ  マルチの下に手を差し込んで すでに大きな葉の中ごろまで伸びている細いヒゲ根を切らない様に その先に 888化成肥料半握りほどをパラパラと全面に撒きます。
 その後 ジョロの先をいれ 湿らせておきます。
 5〜6株のわずかな作業だから出来るものの 家庭菜園ならではのマニアックな作業です。
 この追肥で 早生の白菜は収穫までは「目肥」のみです。
 大株の中生種は結球を始める頃に もう一度 畝の肩辺りに少し化成肥料を遣ります。 

 夏の間咲き続けた 百日紅も 彼岸過ぎになると 花がみすぼらしくなりました。
 百日紅に代わって 目をひく花樹の写真を2枚アップします。

 1枚目の右の写真は 農園へ通う途中に植えられている 大きな酔芙蓉の樹です。
 朝通る時は白い花ですが 夕方 仕事を終えて帰るときは 赤くなっています。 丁度 西日がまともに当たる場所なので ひときわ 酔っいるようです。
 まことに上手いネーミングで 帰宅をはやる気にさせます。
 この酔芙蓉は 一ヶ月以上も前から咲き続け いまだに通る度に観賞できます。

 もう1枚の写真は 左のルリマツリです。
 こちらも 夏前から衰えを知らずに咲き続けています。
 デジカメで この花の色を出すのは難いのですが ブルーの涼しげな色は何とも言えません。
 冬の間は 枝をうんと切り詰めて 寒さを凌いでいますが 夏前から 枝が伸びて 絶えることなく花を咲かせています。
 この時期になると 生垣の高さを超えて 後ろのモッコクの枝に取り着いて伸び モッコクの葉の間で花を咲かせています。
 モッコクの木の雰囲気に この花は ちょっとそぐわない気がします。

土曜日, 9月 19, 2009

茎ブロッコリーと かき菜

9月も後半になると 秋らしい天気が続きます。
 農園にも いろんな種類の秋野菜が 顔を揃えてきました。

 右の写真も 茎ブロッコリーが6株と かき菜が4株 それから 発芽した聖護院大根が3穴と 賑やかな一畝です。
 この茎ブロッコリーは 8月の20日過ぎに種を蒔いて 先日ここに定植しました。
 今は防虫網のトンネルの中に収まっていますが  10月にはトンネルに収まらなくなります 11月に入り 寒くなる頃には 500円硬貨ほどの頂上花蕾が穫れます。 その後も 年が明けて 3月頃まで 数回にわたって 脇枝の花蕾が穫れます。 脇枝も花蕾は ちゃちですが 15~20cm程に伸びた花蕾の茎は柔らかくて 美味しいです。
 ブロッコリーと中国野菜カイランとの混血野菜として 日本で開発された 新種ブロッコリーは この茎がポイントです。 世に出た時は「ブロッコリーと言うには あまりにも 花蕾がちゃちで これでは売れない」とお蔵入になっていました ところが アメリカで 茎が美味しいとの人気が出ると途端に「アスパラ風味の茎」の肩書きが与えられ 「茎ブロッコリー」の名前で 流行しました。 そんな曰く付きのナウイ野菜です 手放しで 笑ってはおれない話です。

 次の写真は 同じ日にポットに種を蒔いて 苗作りした かき菜 です。
 3〜4年前に 北関東出身の農園仲間から 種を封筒にいっぱい頂きました。 以来 春を呼ぶ野菜として 毎年4〜5株植えています。
 この春 奥多摩へ行った時 お土産物屋で 1束100円で売られていたので 買って帰りました。 店の名札には「かき菜」ではなく「のらぼう」と書いてあります 店員さんは「この辺では何処でも ぼうぼう と生えているよ」といいかげんな説明でした。
 帰って 調べてみると「のらぼう菜」は「かき菜」とは別のもので 青梅を中心とした 東京西郊の山麓地帯に分布し 18世紀中頃 江戸幕府の関東郡代が 江戸近郊の天領の村々に配付した「ジャバナ」(ジャバ島からオランダ舟が持ち込んだ)の種が その後いつのまにか「のらぼう」と名前を変えて現在に伝わっている とのことです。
 一方 北関東の上野佐野地方を中心に栽培されている「かき菜」は 万葉集に「上野佐野の茎立折りはやし・・・」と読まれていて 古くから 春先の野菜として重用されてきた とのことです。  

月曜日, 9月 14, 2009

学校の秋野菜

大陸育ちの高気圧に覆われる日が多くなり 空気はすっかり入れ替わりました。 
 農園は 背の高い夏野菜が姿を消し 低い秋野菜に替わって 見通しがよく 広く感じられます。

 学校のプランターも 春のミニトマトに入れ替わって 秋野菜はブロッコリーです。
  11月始め学校での催物「新渡戸祭」に間に合わせるべく 極早生のブロッコリーを育てています。
 上の写真でご覧の通り 丸底と角底の2種類の大型プランター12個を縦列に並べて 各プランターに3株づつ 全部で36株のブロッコリーを植えました。
 なお 今回のブロッコリーのお世話は 東京文化短期大学 生活学課の生徒さん達が 実習として 種蒔きから 収穫まで担当されます。
 ブロッコリーは丈夫な野菜ですが この時期は 防虫対策が必須です 従って 全てのプランターに 防虫網のトンネルを掛けました。
 おかげさまで 蝶や蛾が葉裏に卵を産み付けて 大量の幼虫がふ化して 多くの株が一挙に食い荒らされることはありませんが それでも 1cm程のアオムシが 何処からか這って来て ネットとプランターの隙間から侵入して あちこちの葉は食われています。 新しい穴を見つけると 都度摘み捕っています。

 種蒔きは 7月23日にポットに4粒づつ蒔きました。
 苗作りは 移動温室の窓を開け放ち その窓に防虫網を張り巡らして1ヶ月間で仕上げました。(ポット苗の様子は8月7日付けのブログ をクリックするとご覧頂けます。)
 夏休みの 暑い時期でしたが 皆さんが交代で 毎日の水遣りからお世話をしていただきましたので 苗は順調に生育しました。

 8月23日には このプランターに定植して 支柱を建て 防虫網のトンネルを張りました。
 さらに 活着1週間後に 第1回の追肥を軽く遣りました。
 写真でご覧の通り 株はしっかりしていて 今のところ 全株とも順調にきています。 この調子で育ちますと 11月始めの「新渡戸祭」には 株の頂上にブロッコリーが成っているでしょう。

火曜日, 9月 08, 2009

白菜の定植


苗に急かされ 隣近所の声に急かされた 白菜の定植は やっと終わりました。
 夏野菜を何時までも片付けないで 放置してあったので「白菜は植えないのですか?」と度々尋ねられました。  言われてみると 今年は 8月中に 早々と白菜を植えた畑が 農園のあちこちで見られました。
 10年ほど前 始めて白菜を植えたころは「この辺りでは 8月のお盆の後で種を蒔き 9月の15日頃に畑に定植する」と教えられていました。
 ところが 年々白菜を植える時期が早くなり それを見た人々が 取り残された焦りを持つようになりました。 ことの起こりは どうも 家庭菜園ブームに乗って 大型園芸店が野菜苗の販売に力を入れ始めことにあるようです。
 売れ残ると タダ同然になる苗類は 他店よりも早く売り出して稼いでしまおうと 大量生産した苗を 低価格で早くから売り出す現象が 年々エスカレートしてきたのです。
 今まで 近くの農家が 自家栽培用に作った苗を 分けてもらっていた家庭菜園のユーザー達にとっては 戸惑いと 焦りが起こるのは当然です。
 マスコミの論調風表現を借りれば バブルの崩壊以降 流行語となった グローバリゼーションと言うか 市場主義と言うかの 奇怪なるモンスターが 都会の家庭菜園の世界にまで現れて 自然のリズムを狂わせる事態が起こっています。

 さて 定植を終えた うちの白菜は如何でしょうか。
 春のアブラムシに匹敵する 秋の難敵はヨトウムシです。 雑草を食い尽くしたヨトウは 柔らかくて美味しい白菜を探して 遥々と移動し 防虫網のトンネルもマルチフィルムをも潜って侵入します。 従って 彼らにスキを見せないように 70cm巾の畝を 黒マルチでピッシリと被いました。
 そこに 株間を50cm間隔に苗を植えました。 黒マルチが 残暑の熱で熱くなると テフロンコーティングされたフライパンと化し 苗の柔い葉が触れると 白菜炒めになってしまいます。 マルチと葉の間に 胡瓜の敷き藁に使ったセコハン藁をスペーサーとして敷きました。
 また上の写真で御覧の通り 強い日射を和らげる為に 黒寒冷紗も掛けました。
 黒いトンネルの後ろで青々と茂っているのは 2メートルの支柱いっぱいに伸びたシシトウ類です。

 白菜を植え終わると 暗くなりかけた東の空に ポッカリと月が出ていました。
 今年は旧暦の閏年で 5月が閏月を含めて2回あったので 今月は旧の7月です 従って中秋の名月とは言えませんが 月齢は15.7 で いざよいの月です。 コンパクトデジカメの限度いっぱいで写しました。
 人の世は いろんなチェンジが起こっていますが この月は ウサギの餅搗きも見えますし かぐや姫が帰って行った時の月と変わることなく この世を見つめているようです。