このブログは 小さな家庭菜園での野菜作りを中心に 写真を付けて メモ風に書いています。 平素 ”目肥” 即ち よく観察をして 野菜の要求を悟り 即時に対応するよう心がけています。 さて このブログを通じて 多くの家庭菜園 愛好の方々と お交わりが出来たことに感謝しています。 これからも「菜園ブログ」の軸はぶらさないで 少しづつ 範囲を広げながら 続けて行きたいと思っています。
火曜日, 12月 22, 2009
お茶の水 界隈を散策
通勤にずっと利用していた中央線快速電車は 当時 殺人的な混雑でした。
電車がお茶の水に着くと やっと 乗る客よりも 降りる客が多くなり 車内に空間が出来て 窓の外に目をやる余裕ができます 発車して聖橋をくぐると 右の窓にニコライ堂の青い丸屋根が見え 左には湯島聖堂の瓦屋根が見えました。
ニコライ堂も湯島聖堂も そのうちに一度訪ねてみよう と思っていましたが それから ウン十年が過ぎてしまいました。
テレビドラマ「坂の上の雲」にあやかって 司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズを開いてみると その三十六巻「本所深川散歩・神田界隈」に ニコライ堂や湯島聖堂について書かれています。
師走の冬晴の一日 仲間6名で そのコースを歩き 積年の思いを果たしました。(写真面をクリックすると 大画面がご覧いただけます)
ニコライ堂の建っている駿河台と 湯島聖堂のある湯島台地とは もとは繋がった一つの台地でした。 家康が江戸の城下町を造るにさいし 神田川の上水を日本橋・浅草方面に流すために 台地の真ん中に「神田お茶の水掘割」の大土木工事を行い 現在の姿になりました。
この官学としての湯島聖堂(正称は昌平坂学問所)が出来たのは 関ヶ原のあと二百年ちかくもたった 十一代将軍 家斉 のとき(1790年)でした。 それ以前 元禄年間に 五代将軍 綱吉が孔子廟を建てて「大成殿」と名づけた建物が この写真です。 なお現在の建物は 関東大震災後 昭和十年に建て直されたもので 木造風ながら鉄筋コンクリート造りだそうです。
境内に植えられた 楷の木が黄色く色づいていました。 楷の木は 曲阜(きょくふ)にある孔子の墓に植えられている木で 枝や葉が整然としているので書道で言う楷書の語源となった木だそうです。
なだらかな坂道を歩くと 右手上に神田明神の派手な門が見えます。
正月にそなえて 脚立を建て 大掃除の最中でした いかにも せっかちな江戸っ子らしさです。
「江戸総鎮守」の大きな表札が かかっています 江戸時代には 歴代将軍の尊崇をうけていた証拠です。 さらに 京都の祇園祭 大阪の天満祭り とならび日本三大祭りの一つとしてにぎわっていました。
司馬さんは次のように書いておられます。
”明治の世になると、祭礼は相変わらずながら、社格と言う点では、東京の府社にすぎなくなった。 3大祭りの一つの祇園祭を持つ京都の八坂神社が旧官幤大社だったことをおもうと、残念な気がする。
ひとつには「延喜式」による式内社ではなかったということもあり、ひとつには偏って徳川氏の庇護をうけすぎたということもあり、さらに考えると、祭神が 朝敵だった平将門だったということで、明治の世に適いにくかったのかもしれない。”
湯島台地の北の端に 湯島天神があります。
泉鏡花の「婦系図」の舞台として有名なところです。
建物のいたるところに 梅の花模様が描かれていますが この季節 名物の梅の木々は 寒そうでした。
江戸時代には 尋ね人の情報交換場として人の出入の多かったところで 御殿女中や僧の遊び場にもなっていたといわれています。 今は 合格祈願の絵馬が いたるところに掛けられ 世相を物語っています。
湯島天神の坂を下ると 不忍池もすぐです。 ここまで来たのだから ということで 旧岩﨑邸庭園を訪ねることにしました。
ここは明治29年に 三菱創設者 岩崎家の本邸として建てられたもので 現在は東京都が重要文化財として 所有・管理しています。
現存する 洋館とビリヤード室は ジョサイア・コンドルの設計によるもので 近代日本住宅を代表する西洋木造建築です。
館内の随所にほどこされた見事なジャコビアン様式の装飾が 往時のままの雰囲気をただよわせています。
今日は コンドルが施工したニコライ堂で始まり コンドルが設計した旧岩﨑邸庭園で一日が終わりました。
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8 件のコメント:
お仲間6人と師走の一日を過ごされた由、長年の想いを果たされさぞかしゆっくりと楽しんでこられたことでしょうね。
私も在京当時は本社勤めで西武新宿線~東西線~銀座線で京橋、途中で社屋が変わり西武新宿線~山手線で原宿と10年ほど慣れぬ電車通勤で散々苦労しましたが、この頃は子供達もまだ小さく車は持っておりましたので郊外へ足を伸ばすことはありましたが、都心方面にに足を運ぶことは殆どありませんでしたので、今回お回りになられたところはすべて行ってみたかったという想いはありましたが果たせぬままでしたので、文面と写真でしばし楽しませて頂きました。
waka3さん おはようございます。
コメントを 有り難う御座いました。
共感を覚えていただき 嬉しいです。
なにせ 皆が 邪念を抱かず 一生懸命の時代でした、今想うと 本当に良き世の中でしたね。
その日は 神田明神の近くの蕎麦屋に入って 昼食をとりました。
その後 湯島天神に回ると(文中でも ちょっと 触れておきましたが)その近くには 昔の名残を想わす町並みがあり、 格子窓の 古くからの天ぷら屋を発見しました。食い気を早まったなー と後悔しています。
私も、結婚した当初は三鷹から東京まで中央線の快速で通いました。ニコライ堂もこうしてアップで拝見すると迫力がありますね。湯島天神と併せて懐かしく拝見しました。
「神田お茶ノ水掘割」の土木工事がなされていたこと。楷の木が楷書の語源とは驚きました。盛りだくさんで色々物知りになりました。
今年の後半には兄が逝き、初孫が誕生したりと、落ち着かない生活でPCもサボりましたが、素敵な写真や記事を楽しませて戴きありがとうございました。
なかなかそちらのほうへは行けないのですが、ニコライ堂は立派ですね。
毎年クリスマスにはミサも開かれるようですね。
一度ゆっくり見てみたいです。
kimamaさん こんばんわ。
三鷹始発の鈍行で 座って行かれればよかったのに、なんていらぬ御節介を申し上げません、それぞれ事情がありましたからね。
今の快速は、新宿で半分程になり、四谷で1/4 になります。東京駅では座席が空いています。朝の丸の内は空洞化しました。
ニコライ堂と湯島聖堂の眺めは、昔と全く変わっていません。
楷の木の事は、株元の立札を見て知りました。
そちらは 寒くなったことでしょう、あの雪景色が思い浮かびます。呉々も お風邪等ひかれませぬように 御注意ください。
kojiさん こんばんを。
ニコライ堂は 少しでも天上に近いようにと、駿河台の一番高い所に 38mの高いドームを建てたのですが、現在は 回りにより背の高いビルが にょきにょき建っていますので、颯爽とした姿が見え難くなっています。
中に入るには時間制限が厳しいので、時間をお調べになってから行かれたほうがいいと思います。
夏目漱石もミサを見たらしく、作品の中で その情景を書いています。
都内を歩いてみるのもいいものですね。
私もお茶の水から東大の赤門まで歩いたことがあります。
でも、その時はただ歩いただけでじっくり見る時間はありませんでした。
sasagawaさんのように博識の方と一緒に歩いたらきっと楽しいでしょうね。
綺麗な写真も楽しませていただきました。
ポタさん、
有り難う御座います。
湯島台地は本郷台地の東端ですから、丘続きであるわけですね。 あの辺は電車の路線が曲がりくねっているので、方向感覚が狂いますが、実は近いのです。
小石川の植物園も廻れるコースがありますね。
また 順天堂病院の大きなビルの陰に、東京都水道歴史館があります。
ここの2階には、江戸時代の水道配管の詳しい展示があって、ここも面白いです。
江戸の街の上水道は、当時のヨーロッパの都市よりも進んでいたようですね。更に 江戸には下水道の設備が無いのは、廃棄物が周囲の農村との間で野菜交換のルートが出来ていて、廃棄物の出さないエコ都市であった様です。
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