日曜日, 3月 06, 2011

冬野菜の収穫・薬師寺東京別院

 3月に入ると温かい日差しが嬉しく感じられます。
 種蒔き後 二十日以上 過ぎたトマトの苗も 本葉が5枚になり 12㎝の大型ポットに移しました。

 温かい休日に 相模原にある学校の農園で 小学校1年生の希望者8家族と一緒に 最後の冬野菜を収穫しました。
 先週は 小学校2年生の11家族が参加して ブロッコリーとホウレンソウの半分を収穫しましたので 今回は 残り半分のホウレンソウと 最後に残った一畝のキャベツの収穫です。
 防寒・防風のトンネルも掛けないで 真冬の露地で育ったホウレンソウは 地面にピッタリと貼り付いて 葉を掴んで引き抜くと 折角の葉が全部ちぎれてしまいます。
 そこで 参加者全員には 工作用のハサミを持って来てもらい 土の中にハサミを差し込み 先ず根の先を切ってから 赤い根元の付いたホウレンソウを 1株ずつ収穫するように指導しました。
 先週の 2年生の時は この指導方針は成功でしたが 1年生では 指の力と ハサミを使うスキルに差があって 土の中で根を切ることに苦労しました。
 1年生から2年生になる1年間に 子供達が成長する早さの具体例を 教えられる結果になりました。
 さて 収穫した ホウレンソウとキャベツは 駕篭に入れて水場に運び 水洗いして芝生に広げて乾かしました。
 乾いたホウレンソウは 小分けにして袋に入れ 半分は 参加者全員が分けて持ち帰り 残りは 学校給食用として学校に届けました。
 どこの家族も 夕餉の食卓は 一日の楽しかった話題と 正真正銘 無農薬有機栽培の新鮮な野菜の味で もりあがったことでしょう。

 友達から情報を得て 五反田にある 薬師寺東京別院で開催されている「薬師寺の文化財保護展」を拝観し 法話と抹茶のサービスを受けてきました。
 東京別院は 山手線五反田駅の東口を出て 徒歩で数分 今時 珍しい石畳の坂道を辿り 池田山の高台の 静かな所に在ります。
 パンフレットによりますと "別院は、檀家や組織を持たない 奈良薬師寺の別院で、450年前に焼失した堂塔の再建を願い、お経による白鳳伽藍復興の関東以北の拠点として、昭和50年より本格的に始動しました。 " とあります。
 今回の展示品は 東京別院の本尊である薬師如来像を含め 仏像が5展。 奈良時代の大般若波羅蜜多経を含め 経典が4展。 及び 薬師寺と縁の深い 平山郁夫さんが奉納された散華原画7展が展示されていました。
 薬師寺は1989年から 保管している仏像などの修復と調査に取り組み その一環として修復された仏像の一つ 鎌倉時代の十一面千手観音菩薩像が 全国初公開で展示されていました。
 この像は「薬師寺破損仏」の一つとして唐櫃に整理されていた仏像断片の中から 関連する部材を選り分け 復原修理をした 三尺余りの木造仏です。
 復原修理ですから 例えば 顔の補作に際しては 鎌倉前期の快慶が作った仏像・鎌倉中期の興福寺食堂の千手観音像・京都三十三間堂の千手観音座像などの顔が参考にされた と解説されています。 また 脇手四十二臂のほかに 千手をイメージ化した板材を取付けたことなども記されています。
 馴染み深い 奈良時代の千手観音像とは ちょっと違った印象を受ける像でした。

火曜日, 2月 15, 2011

トマトの発芽・飛鳥山散策

 例年よりも 一週間遅く 発芽器 愛菜花にポット蒔きしたトマトが発芽しました。
 昨年は 4月の気象が異常で 4月の17日には東京で雪が積もりました 41年振りのことでした。 更に その後も4月25日頃まで 最低気温が6℃を割る寒い朝が続きました。
 この低温の影響で トマトは枯れることはなかったのですが 樹が痛み その後の 花芽の着き具合に大きな影響を被りました。
 そもそも 雨除け日除けを掛けない 路地でのトマト栽培では 梅雨明け以降も 樹上で真っ赤に熟した きれいなトマトの収穫を望むのは無理な相談です。 従いまして 可能な限りスタートを早めて 桜の花の散る頃に定植して 梅雨明け前には終えてしまうスケヂュールを立ててやって来ました。
 昨年の結果を受けて 今年は 次のような修正を加えることにしました。
 一つは 定植の時期を遅らせて 寒波の被害を受ける確率を減らすことにしました。 その分 種蒔きを一週間ほど遅らせました。
 次に 出来るだけ 早生種を栽培することにしました。
 従来も 早生種を重点に 品種選びをしていますが 何時もブログでお世話になっています waka3様のお作りになっている「スタピス トマト」は早生種で 是非一度作ってみたいと思っていましたので お願いをして 種をいただきました。
 写真のトマトは この「スタピス トマト」です。
 更に 2本仕立ての脇芽の選び方を変えようと思っています。
 今までは一段花房の下の脇芽を伸ばしていましたが これでは主茎よりも2段分実の生る時期が遅くなりますので もっと早い段階で出てくる強い脇芽を伸ばしてみようと思っています。
 さて 今年のトマトは如何になりますでしょうか? 

 2月も半ばになると一日に2〜3分づつ昼が長くなり その分 太陽の角度が高くなっているのが分かります。 相変わらず 吹く風は冷たくとも 日差し自体は温かくなっているのでしょう。
 その様な冬晴れの日 王子・飛鳥山界隈を歩いてきました。
 あの質素倹約を旨とした 8代将軍 吉宗が 上野や隅田川堤と同じく 王子一帯にも桜を植えさせ 桜の花見時には歌舞音曲も許したので 飛鳥山は江戸庶民の行楽地として賑わいました。 吉宗は 家臣に 遊山の人数について下問した という記録も残っていて そういう一面もそなえた将軍であったようです。
 昨年の花見時にも 飛鳥山に来ましたが その時は 花見客で園内を自由に歩けないほどの人出でした。 さすがに今は 人の姿もまばらで ゆっくりと見て廻れました。
 現在 飛鳥山公園には 3つの博物館があります「紙の博物館」「北区飛鳥山博物館」「澁澤資料館」です。
 渋沢栄一は設立した王子製紙の工場を眼下に見守ることの出来る この飛鳥山に 邸宅を構えました。 そして 明治12年(1879)から 昭和6年まで生活した場所が そのまま「旧澁澤庭園」として残っています。
 園内には 大正期に建てた 二つの建物「晩香盧」と「晴淵文庫」(共に国の重要文化財 指定)がそのままの姿で建っています。
 写真は「晴淵文庫」の正面です。 外壁には伊豆天城産の白色安山岩を貼り 中央開口部には色付けした陶板が用いられ 上部窓には澁澤家の家紋をデザインしたステンドグラスがはめ込まれて 色鮮やかな壁面が構成されています。

 飛鳥山を降りて 現在の本郷通りを都心方向に進むと この西ヶ原一里塚が道を挟んで両方にあります。
 慶長9年(1604) 家康は江戸に幕府を開くとすぐに 日本橋を基点として全国の主要街道に一里塚を築き 街道の道程を示す目安とすることを命じました。 西ヶ原一里塚は 本郷追分の次の一里塚で 日本橋から数えると 日光御成道の二番目の一里塚にあたります。
 旧道を挟んで一対の塚が現存しているのは 都内の一里塚としては貴重な文化財となっています。 
 実は 写真の左側の一里塚と2本の榎は 大正5年 東京市電の軌道予定位置にあったために 撤去されそうになりました。 澁澤栄一や東京市長・地元町長を中心とする地元住民の運動によって保存に成功したものです。(現在は その市電も撤去されて 本郷通りの上り車線が一里塚を迂回して通る形になっています)
 そう言うことで この一里塚は 大正時代に 文化人と住民が一体となって 文化財保存に成功した例としても記念碑的なものです。
 
 Picasaアルバムをクリックすると 飛鳥山の写真がご覧いただけます。

火曜日, 1月 25, 2011

真冬のホウレンソウ・千住宿

 冷たい北風が吹き 農園に 人影は見えません。
 人々はこの時期 農園に出て来ても 穫るものを穫れば さっさと帰ってしまいます。
 それに引き換え いよいよ 食べる物が無くなったのでしょう マナーの悪いヒヨドリや 群れで好き勝手に振る舞うムクドリが目につきます。

 久し振りの農園へは ホウレンソウを穫るための出て来ました。
 ホウレンソウの葉は このところの冷え込みで厚みが増し 色が濃く 重そうで ピッタリと地面に貼り付いています。
 ご覧の通り 15㎝ほどの間隔で 3筋種を蒔いたホウレンソウは 上に伸びないで 横に広がり お互いに隣のレーンに侵入しあって それぞれの筋が見えなくなっています。 こうなるとホウレンソウの収穫は 葉と葉がひっつき合って 扱い難く 寒風の中で時間がかかりました。 穫ったホウレンソウは 店頭のポリ袋の中で行儀よく収まっているのとは 別野菜の様です。
 しかし その分 食味は最高でした。

 江戸四宿の一つ 「千住宿」を歩いて来ました。 
 家康は防衛上 隅田川に橋を架けることを嫌い 長らく「千住大橋」が唯一の橋でした。
 日光街道も奥州街道も水戸街道もここを渡り 仙台の伊達候や水戸の殿様など 60以上の大名が参勤交代で通りました。 更に日光参拝時は将軍の大行列もあり 千住宿は 大変な交通量でした。(芭蕉もここから「奥の細道」の旅に出ました)
 千住宿の町並みは 旧日光街道沿いにひらけ 天保15年(1844)の時点で 南北32町 人口約1万人 本陣1 脇本陣1 旅籠55軒 。 人口は品川宿の6千人強を大きく上回って 江戸四宿の中で最大でした。
 始めの写真は 旧日光街道に沿った千住の現在の様子です。 この右手辺りにJR常磐線と地下鉄千代田線の「北千住駅」があって 最も賑やかなところです。
 次の写真は この通りの左側 店の看板の陰に立っている「千住宿本陣跡」の石碑です。
 本陣は 石碑の立っている所から 奥寄り 西側に広がり 土地面積は約360坪 建坪は120坪の堂々たるものでした。 ここに殿様が泊まり 家来達は脇本陣や 一般の旅籠屋を使って泊まりました。
 「大名旅行なるものは夜具布団、食器はもちろん風呂桶から便器にいたるまで、必要道具は一切持ち歩き、本陣は建物を賃貸しするのみで、宿泊料金は心付けに過ぎず、諸大名の格式や懐具合で一定していなかった 」そうです。
 この町並みの途中に 古い家屋が2軒残っています。 一軒は 安政の大地震(1855年)の後に建てられた紙問屋(写真の家)です。 玄関の柱に残っている傷跡は 官軍と戦った彰義隊が刀で斬りつけたものといわれています。
 その筋向かいにもう一軒 「千住絵馬」を作り続けている家が残っています。

 「千住宿」が大きくなった要因は 交通の要点であったことの他に 川向こうに広がる農村地帯からの物資の集散地としての好立地にあり そのために街道を挟んだ両側に問屋街「やっちゃ場」が形成されたことです。
 お終いの写真は それらの物資を取扱う問屋の一軒の看板です。
 江戸時代には青果のほか 穀物・川魚などの問屋が軒を連ねていました。
 その店先で それぞれ せりが行われ せりのかけ声の「ヤツチャ ヤツチャ」から「やっちゃ場」の名が起こったといわれています。
 クリックすると Picasaアルバム「千住宿」 がご覧いただけます。

水曜日, 1月 12, 2011

新年の白菜、七福神巡り

 正月恒例 白菜「王将」のポンチョ姿です。
 昨秋のスタートが遅れたので この姿を見るのも 年が明けてからになりました。 
 例年は今頃になると ポンチョの部分(白菜の外葉)は枯れてボロボロになっていますが 今年は ずっとトンネルの中に居ましたので どの白菜も比較的きれいなポンチョを羽織って気取っています。
 今日も一株 収穫しました 根の周りに病気や虫食いも無く 巻が堅く どっしりしていて 目方は4キロ半あり まずまずでした。

 風がなく 暖かな日差しがうれしい一日 年はじめの七福神巡りをしました。
 今年は 数ある東京七福神巡りのうちで「下谷七福神巡り」と言われる下町のコースです。
 左の写真は「布袋尊」です。
 布袋尊は唐時代の中国に実在した僧で 欲は無く 当座の日用品だけを袋に入れて持ち歩き 子供たちと遊ぶ姿を表しています。 見ている人達からは 随分のメタポだ! との声が聞こえました。
 この近くに「樋口一葉記念館」が あります。 菊池寛が “ここは明治文壇の天才樋口一葉旧家の址なり。一葉この地に住みて「たけくらべ」を書く。明治時代の龍泉寺の面影永く偲ぶべし。今 町民一葉を偲びて碑を建つ。一葉の霊来たり留まらん。” と書いた碑があります。 この辺りは 吉原です。

 1ブロックほど歩くと 正法院(飛不動)があり ここには「恵比寿」さんが祀られています。
 七福神の中で「恵比寿・大黒」は日本の神様で 葦の船に乗せて南の海に流したのが 福神となって戻って来られ 鯛は海の幸を 米俵に乗った大黒は陸の幸として 商人の信仰を得るようになった と言われています。
 また「飛不動」の由来は 昔 この住職が本尊を持参して大和大峰山で修行していたところ この本尊が一夜にして飛び帰ってご利益を与えたことから この本尊のことを「飛不動」と呼び 今は飛行機旅行の人達の護り本尊となっています。

 吉原は 江戸に於ける唯一の幕府公許の遊郭として 今の日本橋人形町辺りありました。 当時 吉原辺りはヨシの生い茂る湿原であり ヨシの原 が吉原の語源だそうです。
 その沼地の畔に 弁天祠として祀られていたものが 遊女や芸者の苦しみを救って下さるものと強く信仰され 文化・文政の頃には「吉原弁財天」として多くの人に知られる様になりました。
 新吉原花園池址には 昔 沼地の畔に祀られた 弁天祠に残る 遊女たちの名札とおぼしきものがありました。
 ここで昼食休みに入り 午後 残りの 毘沙門天・福禄寿・寿老神を巡りました。
 クリックすると Picasaアルバム「七福神めぐり」がご覧いただけます。

日曜日, 1月 02, 2011

あけまして おめでとうございます

 今年も 野菜達と 親しく語り合えますように
 そして その悲喜交々を ここに書き残せますように 祈っています。
  かわりませず よろしくお願いいたします。

 風もなく 穏やかな冬の日差しがいっぱいの朝です。
 神田川の崖の上にある稲荷神社には 近所に住んでいる氏子達が家族連れで初詣にみえています。
 鳥居をくぐって 参道をゆくと本殿の正面に 茅の輪がしつらえてありました。
 お達示に従って “宮川の 清き流れにみそぎせば 祈れることの 叶はぬはなし” と口ずさみながら 8の字を描き3度 茅の輪をくぐりました。

 その足で 神田川を渡って初登園しました。
 農園には 既に人影が見えていて 新年の挨拶をかわす明るい声が聞こえます。
 防虫兼防風のトンネルの 裾をからげて小松菜を穫りました。
 江戸時代のこと 小松川に鷹狩りに来た将軍吉宗が 地元で穫れた小松菜を食べて気に入り 小松菜と命名したとの謂れがあるほどに 昔からの地元の野菜です。 また「冬菜」の別名を持っている小松菜は 寒くなると 甘み 柔らかさ 香りともに ピークになります。
 自然の作物は 長年その土地の気象・風土に慣れている場所で 最もストレスが少なく生育してきた 所謂「旬」の時期のものこそ 何よりです。

月曜日, 12月 27, 2010

欲しい時に 少しずつ

 冬の太陽は 冬至を過ぎますと 夕方の日は少しづつ長くなりますが 朝の日の出は遅いままで 気温は下がり続けます。 最近の最低気温は氷点下になることがあります。(新聞テレビに出る 東京の最低気温の表示は 都心の大手町の気温です 西部の この辺りに比べると3℃程高い数字になっています)
 収穫を強要される夏野菜と違って この時期 農園の野菜は 冷蔵庫の野菜室に保存してあるようなものですから 欲しい時に 足りる分だけ使えばよく 甚だ好都合です。
 数日振りで 農園に顔を出した今日も ちょこちょこと 少しづつ収穫して来ました。
 始めに穫ったカブは 太ってぶつかり合っている箇所から 引き抜いてきたものです。
 種蒔き以来 ずっと防虫網のトンネルの中で育てましたので 無農薬の葉が柔らかくて 奇麗です。
 根も葉も 捨てないで美味しく戴きました。

 次は 秋蒔きの常連 ホウレンソウです。
 例年 ホウレンソウは 9月の下旬から 11月の初めまで ほぼ2週間置きに数回種を蒔いていました。
 既に度々書いてきましたが 今年の異常気象の影響で 秋野菜の計画は大幅に狂いました。 ホウレンソウも10月の半ばにやっと種を蒔きました。 普通この頃の種蒔きは 正月用ホウレンソウのタイミングです。
 今日は 混み合っているところのを選んで この秋 初のホウレンソウを収穫しました。 
 この寒さで 赤く色づいた根に おりからの夕日が差して 冬野菜らしからぬ柔らかい姿に見えました。

 3つ目は 西洋ネギ「ポアロ」です。
 不調の話題ばかり続きますが 家のプランターに種を蒔いた 葉ネギと西洋ネギは 発芽の頃に 自宅の外装塗装工事用足場が架かり 陽当たりが悪くなって 苗の生長が妨げられました。
 ハンディキャップを負った その苗を定植したら 今度は異常な猛暑に遭いました。 更に 悪いことは重なるものです 猛暑のために 農園では夏以来 耕作放棄をする人が増え 隣の畑では 腰ほどに伸びた雑草が 秋のヨトウムシの温床となり 越境侵入するムシに か弱いネギは あっと言う間に根元から食いちぎられてしまいました。
 葉ネギに比べて 丈夫なのか ムシにとっては好ましくないのか 西洋ネギは何株か残りました。 その西洋ネギの初穫りです。 太さは 充分ですが 背丈の伸びが良くありません しかし まずは満足です。

日曜日, 12月 12, 2010

やっと収穫期を迎えました

 今年の夏の異常気象は 秋野菜の収穫時期に大きく影響しました。
 12月に入って早生白菜の「無双」がやっと収穫にこぎつけたのです。
 8月の気温が高いために 例年はお盆が明けるとポットに種を蒔いていましたが 今年は 月末ぎりぎりになりました。
 更に 9月に入っても連日 夏日の暑さが続き ポット苗は徒長して しっかりした苗にならず 結局 定植したのは9月の26日になってしまいました。
 これは例年に比べると半月の遅れで 収穫は1ヶ月近くの遅れになりました。
 収穫した「無双」は ご覧の通り 虫食いも少なく 巻きはしっかりしていて 目方は3キロ以上あり まずまずでした。

 次のカリフラワーも早生種の「スノークラウン」です。
 これも収穫は20日以上遅くなっています。
 関東の夏は 通常 昼間の日照で焼けた土も 夕立による打水効果で 夜は温度が下がり 過ごし易くなるのですが 今年は8月の初めから1ヶ月間 夕立も何も 1滴の雨も降らない熱帯夜が続きました。
 従いまして8月初めにポットに蒔いた種が 発芽はしたが順調な生育はせず 特に根の伸びが充分に進まず 土の生え際が細くなって枯れるポットが続出しました。
 農園の誰もが 慌て出して 近くの農家に駆け込みましたが 農家も「自分の畑に植える苗も育たないよ、分ける余裕なんて無い!」と断られるしまつでした。
 結局 9月になって なんとか植えられそうな苗を定植することになってしまったのです。

 スティック セニョオールは ブロッコリーと中国野菜の混成種のために ひ弱な体質なのか? カリフラワー以上に 苗作りに難渋しました。
 10ポットに種を蒔きましたが 半分は枯れしまいました 秋野菜の苗作りでこんなことは始めてでした。
 何とか 定植までこぎ着けたものの 例年に比べると 脇枝の出方が少ない様に思われます。
 例年は2月 3月まで 収穫があるのですが 今年はどうなるのでしょうか。