木曜日, 12月 31, 2009

大晦日のレモンと冬野菜

 
 梶井基次郎の短編「檸檬」の中に
 丸善の本棚の前に 画書を積み上げて城を築き その頂上に置いた 檸檬の色彩はガチャガチャした色の諧調をひっそりと紡錘形の身體の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。 と言うようなことを書いてありました。
 また 彼が その檸檬を買った京都の老舗果物店「八百卯」(やおう)は 今年の1月に閉店した との新聞記事を読んだことも思い出しました。 
 さて 写真でご覧の うちのレモンは 小さな植木鉢に植えてありますが 今年は2個の実が色着きました。 毎年 春 一斉に花が咲くと 絵筆を持って 一花づつ 受粉をしています。 しかし 実に成るのは2~3果がせいぜいで 限られた枝にしか実は着きません。 
 要はこの小さな植木鉢では根が張れず かわいそうなのです。 陽当たりのいい所に 地植えしてやりたいのですが 適当な場所が無いまま 今年も大晦日になってしまいました。

 農園は いつも変わらない 年の瀬の風景です。

 白菜は 空っ風で 外葉が枯れて千切れないように 大きな外葉で被って 紐で縛っています。毎年 これをポンチョ姿と言っています。 
 写真を見ると 今年の白菜「王将」は胴が張って かなりなメタポです。
 カタ太りですから 目方は 5kgはあるでしょう。 
 最後まで 畑に残った「王将」が 捩じり鉢巻きをして頑張っている様です。

 次の 正月用のホウレンソウも 予定通り収穫適期になり 葉色が濃くなって 栄養満点に見えます。
 このホウレンソウ「オーライ」は 日本種と西洋種の交配種ですが 冬の寒い時期は 葉の形は三角形が目立って 日本種が優生になっているように思います。

 奥に見えているのはニンニクです。
 この時期 ニンニクは冬眠中なのか? 生長は止まっているように見えます。

 茎ブロッコリーは 既に幾度か収穫をしていますが この時期のブロッコリーは甘みがぐんと増して 別種類のように美味しくなっています。
 また 下の方の葉の脇から 太く勢いのある脇芽が伸びてきています。 大きくなった葉を分けて 株の中をよく見ないと 穫り遅れになりがちです。


 今年1年 菜園の野菜とのお付合いを 振り返ってみますと 悲喜交々 緊張した関係で過ごすことができました。 また 学校でのプランター栽培についても 新たな展開を見たことは 記録されるべきことでした。
 来年も 野菜作りと そのブログへの掲載を続けたいと思っています。 変わらない お付合いをいただきますようお願いいたします。
 どうぞ良いお年を迎えられますように お祈り申し上げます。

火曜日, 12月 22, 2009

お茶の水 界隈を散策


 通勤にずっと利用していた中央線快速電車は 当時 殺人的な混雑でした。
 電車がお茶の水に着くと やっと 乗る客よりも 降りる客が多くなり 車内に空間が出来て 窓の外に目をやる余裕ができます 発車して聖橋をくぐると 右の窓にニコライ堂の青い丸屋根が見え 左には湯島聖堂の瓦屋根が見えました。
 ニコライ堂も湯島聖堂も そのうちに一度訪ねてみよう と思っていましたが それから ウン十年が過ぎてしまいました。

 テレビドラマ「坂の上の雲」にあやかって 司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズを開いてみると その三十六巻「本所深川散歩・神田界隈」に ニコライ堂や湯島聖堂について書かれています。
 師走の冬晴の一日 仲間6名で そのコースを歩き 積年の思いを果たしました。(写真面をクリックすると 大画面がご覧いただけます)
 ニコライ堂の建っている駿河台と 湯島聖堂のある湯島台地とは もとは繋がった一つの台地でした。 家康が江戸の城下町を造るにさいし 神田川の上水を日本橋・浅草方面に流すために 台地の真ん中に「神田お茶の水掘割」の大土木工事を行い 現在の姿になりました。

 この官学としての湯島聖堂(正称は昌平坂学問所)が出来たのは 関ヶ原のあと二百年ちかくもたった 十一代将軍 家斉 のとき(1790年)でした。 それ以前 元禄年間に 五代将軍 綱吉が孔子廟を建てて「大成殿」と名づけた建物が この写真です。 なお現在の建物は 関東大震災後 昭和十年に建て直されたもので 木造風ながら鉄筋コンクリート造りだそうです。
 境内に植えられた 楷の木が黄色く色づいていました。 楷の木は 曲阜(きょくふ)にある孔子の墓に植えられている木で 枝や葉が整然としているので書道で言う楷書の語源となった木だそうです。

 なだらかな坂道を歩くと 右手上に神田明神の派手な門が見えます。
 正月にそなえて 脚立を建て 大掃除の最中でした いかにも せっかちな江戸っ子らしさです。 
 「江戸総鎮守」の大きな表札が かかっています 江戸時代には 歴代将軍の尊崇をうけていた証拠です。 さらに 京都の祇園祭 大阪の天満祭り とならび日本三大祭りの一つとしてにぎわっていました。
 司馬さんは次のように書いておられます。
”明治の世になると、祭礼は相変わらずながら、社格と言う点では、東京の府社にすぎなくなった。 3大祭りの一つの祇園祭を持つ京都の八坂神社が旧官幤大社だったことをおもうと、残念な気がする。
 ひとつには「延喜式」による式内社ではなかったということもあり、ひとつには偏って徳川氏の庇護をうけすぎたということもあり、さらに考えると、祭神が 朝敵だった平将門だったということで、明治の世に適いにくかったのかもしれない。” 

 湯島台地の北の端に 湯島天神があります。
 泉鏡花の「婦系図」の舞台として有名なところです。
 建物のいたるところに 梅の花模様が描かれていますが この季節 名物の梅の木々は 寒そうでした。
 江戸時代には 尋ね人の情報交換場として人の出入の多かったところで 御殿女中や僧の遊び場にもなっていたといわれています。 今は 合格祈願の絵馬が いたるところに掛けられ 世相を物語っています。
 湯島天神の坂を下ると 不忍池もすぐです。 ここまで来たのだから ということで 旧岩﨑邸庭園を訪ねることにしました。
 ここは明治29年に 三菱創設者 岩崎家の本邸として建てられたもので 現在は東京都が重要文化財として 所有・管理しています。
 現存する 洋館とビリヤード室は ジョサイア・コンドルの設計によるもので 近代日本住宅を代表する西洋木造建築です。
 館内の随所にほどこされた見事なジャコビアン様式の装飾が 往時のままの雰囲気をただよわせています。
 今日は コンドルが施工したニコライ堂で始まり コンドルが設計した旧岩﨑邸庭園で一日が終わりました。

火曜日, 12月 15, 2009

冬野菜の収穫・如意輪観音像


 ブログの更新を怠っているあいだに十二月もなかばになり 朝晩の冷え込みも厳しくなってまいりました。
 大きなイチョウの樹も 高い葉は既に散り始め 樹の周りにはギンナンが無数に落ちて あの独特の匂いが漂っています。
 まだ 低い枝に残っている葉は 陽に映えて美しく輝いて見えました。
 逆光気味にカメラを構えて レンズに日光が指すのを遮りながら 冬晴れの空をバックに撮りました。


 農園にも 久し振りに足を運び ご覧の通り 欲しい物だけはバッチリと頂いて帰りました。
 夏野菜は 自己主張が強く 消費見合いの収穫は許してくれません。 その点 今頃の野菜は 収穫者側の都合で 来たり来なかったりしても ちゃんとその分だけ大きく美味しくなってくれています。
 中生種の白菜も 胴が張って 巻きが固くなり 4キロ以上ありました。
 聖護院大根は この1本で 食事の都度 顔を会わせることになります。
 西洋ネギは 直径が5センチを超える太さになり 九条ネギ 共々 香りと甘みがうんとのってきました。


 庚申会の方々のお供をして「練馬北部の史跡散歩」に参りました。
 朝の10時から 暗くなるまで 20ヶ所以上まわり 一日で2万歩以上 歩きました。

 旧川越街道に面して 小さな阿弥陀堂と墓地があります。 
 墓地の入口の狭い道は 散ったイチョウの葉で あたかも黄色いジュータンを敷いたようです。
  小道の両側に可愛い 20体ほどの石像が列んでいます。 その一つに この如意輪観音像がありました。 角度の低い冬の陽が お顔を浮かび上がらせています 振向きざまにシャッターを切りました。
 彫られたのは江戸時代中頃で うちの近くのお寺にある如意輪観音像とそう変わりませんが お姿は小柄ですし 顔立ちも面長で 現世風に彫られているように思います。
 その頃 この辺りに居た この石工さんはどのようなひとだったのだろう と想いながらしばし眺めていました。

日曜日, 12月 06, 2009

ホウレンソウの美味しい季節


 夜来の雨も上がって 庭に朝の光が射し込みました。
 ザクロの陰で 普段は あまり目立たない この赤葉モミジも 角度の低い朝の光が ハイライトライトになって がぜん庭の主役に躍り出し 季節を告げています。
 コンパクトデジカメは赤色が出し辛く モミジを撮るのに苦心しています。 この写真も 適正露出より2段絞って撮ってみました。 
 
 温暖化のせいでしょうか 最低気温が高いように思います。 12月に入ってからも 東京の朝の気温は 連日 平均気温を2~3℃上回っています。 今日も風がなく 穏やかな日になりそうです。

 農園のホウレンソウも 横からの陽を浴びて すくすくと育っています。
 ホウレンソウの作り易い 秋から春にかけては 毎年 場所が空くと 少しずつ種を蒔いています。
 今年の第1弾は9月の中頃に蒔き ブログにもその写真を掲載しました。 その頃に種を蒔くと 40日ほどで収穫が出来ました。
 第2弾は10月の中頃 シシトウを片付けた跡地に種を蒔きました。 通常この頃に蒔くと 収穫は75日ほどかかり 正月用になります。 上の写真で 奥の方に見えるのがそれです。 
 写真の手前で 本葉が3〜4枚出ているのが 第3弾で 第1弾のホウレンソウを収穫した跡に 11月初旬に蒔きました。 これは2月の収穫になります。

 右の写真が 第4弾のホウレンソウと小松菜です。
 早生の白菜を収穫した跡に 11月の20日過ぎに種を蒔き 保温のために不織布のベタ掛けをして発芽を揃えさせました。 それでも 種蒔き後半月以上経った現在で ご覧の様な状態です。
 収穫までは 3ヶ月以上かかり 3月の収穫になるでしょう。 
 それだけ 寒い冬の間 じっくりと土の養分を吸収して生長するので 栄養・味ともに 1年中で最高のホウレンソウになります。

 なお 写真の奥に見えるのは 中生種の白菜の跡に プランターに種を蒔いて育て 一度 葉を摘み取って 今日ここに移植した チジミ葉カラシナです。 ここで育てると 3月一杯まで 都度 葉を摘み取って収穫出来ます。

日曜日, 11月 29, 2009

今年の奈良旅行


 平城京遷都1300年を来年に控えて 奈良の街は工事ラッシュでした。
 3条通りは拡幅工事で掘り返していますし JR奈良駅は駅舎の拡張建替え中でした。
 11月中旬にしては温かい日に恵まれ コートをホテルに置いて散策しました。
 初日は あまり観光客が立ち寄らない「奈良町」界隈を歩きました。
 この辺りは 狭い道を挟んで 格子窓の古い家屋が連なっている区域です。
 奈良町資料館や庚申堂や小さなお寺などが あちこちに散在しています。 ウイークデーでもあり 観光客はほとんど出会わず 道に迷うと地元の方を見つけては道を尋ねながら歩きました

 この奈良町の中心が 写真の元興寺(ガンゴウジと発音)です。
 元興寺は 仏教伝来後 始めて 正式の仏寺建築として 飛鳥の地に建てられた法興寺(飛鳥寺とも言う)が 奈良遷都によってこの地に移され 寺名も元興寺に改められた由緒在る寺だそうです。
 この建物 極楽堂は焼失後 鎌倉時代に建て直されましたが その後の荒廃が激しく 戦後 の大修理で創建当時に近い状態に復元されました。  後ろに建っている 禅堂と共に 国宝に指定され 更に '98年にはユネスコの世界文化遺産「古都奈良の文化財」の一つに登録されています。

 その日の午後は 興福寺の仮金堂で開催中の「興福寺国宝公開2009」へ 2時間行列のすえ入場し 阿修羅像をはじめ 現存の八部衆・十大弟子像 計14体を一堂で拝観しました。
 尚 お堂内の仏像は 全て写真撮影が禁止になっていますので 残念ながら仏像等の写真を掲載することが出来ません、ご了承願います。

 次の日は旧友と 近鉄西ノ京で落ち合って 北門から薬師寺に入りました。
 薬師寺と言えば 松の間から望む東塔の姿が 記憶に残っていましたが その東塔はご覧の通り工事用足場で覆われていました。 一方 建物として あまり記憶に残っていない 金堂・講堂などは 昭和50年以降の大改装により 白壁に朱色の柱 緑色の格子 黄色の垂木小口 が映える 白鳳伽藍として見事に甦っているのに驚きました。
 金堂内の薬師三尊像や 東院堂の聖観音菩薩像などの国宝の仏像は 昔変わらぬ輝きを拝観できました。
 また 大宝蔵殿に保存されている吉祥天図を見ることが出来ました。これは 縦53cm 横 31.7cmの麻布に描かれた 天平期のもので 非公開の国宝物です。 この絵を見ることが出来たたのは大変 幸いでした。
 更に 北門を出るとすぐに 玄奘三蔵院伽藍があり 平山郁夫画伯が描かれた「大唐西域壁画」も公開日で 見られました。

 薬師寺から北に4~500m行くと 唐招提寺の南大門に着きます。
 観光写真でおなじみの 屋根が印象的な金堂は 改修工事がこの秋に終えて 往年の姿を見ることが出来ました。 
 唐招提寺は 天平末期に造られた仏像群もさることながら 写真の左側 天平建築の金堂・講堂や その右側 に建っている小さな重層の舎利殿や 細長い東室の鎌倉建築 更に 写真には写っていませんが 正倉院よりも古い最古の校倉造りの 経蔵・宝蔵などの 多くの建物が 時代を超えて境内に重なり合う様子が また印象的です。
 鑑真和上像と東山魁夷画伯が奉納された障壁画は 今回は公開していませんでした。

 お昼近くになり 電車とバスを乗り継いで 法隆寺に向かいました。
 法隆寺は 修学旅行の団体と重なり ウイークデーにかかわらず賑わっていました。
 写真は 西の端にある西大門です。 ここは法隆寺でも 夢殿へ向かう人の流れの反対側に当たり 人っ気の少ない所です。 豪華な回廊もなく 鄙びた土塀が続く佇まいは 静かな法隆寺を味わう絶好の場所でした。
 壁画で有名な金堂の中に安置されている釈迦三尊を始め飛鳥仏や白鳳仏の数々。また 新装なった大宝蔵殿に安置されている百済観音や夢違観音 ほか 飛鳥時代から法隆寺に伝わる宝物を たっぷりと拝観しました。
 夢殿を見終わった頃に 雨が降り出したので 中宮寺の弥勒菩薩半跏像の拝観は取り止めて 直通バスで近鉄奈良駅に帰り 一日中ご案内を頂いた友人と別れました。
 この日は 一万歩 以上歩いたそうです。

 今回の旅行で撮った写真は Picasaアルバムに纏めました。
 お序での折にでも 当ブログ右の Links欄に有ります「Picasaアルバム」をクリックして「'09年11月 奈良・京都」をご笑覧下さい。

月曜日, 11月 23, 2009

聖護院大根・ソラマメの発芽

 かねて発注してあったパンジーの苗40ポットが届いたので 土作りから始めて1日がかりで鉢植えをしました。
 あとはクリスマス前にシクラメンの鉢植えを終えると 庭の花は冬の装いになります。

 農園では 気温が下がってきて ネギ・白菜・大根などは甘みが増し 本格的な収穫期になりました。 
 うちの聖護院大根も ご覧の通りマルチフィルムが はち切れんばかりに太り 1本 抜いて帰りました。
 聖護院大根は 煮崩れしないので じっくり煮込んで 熱々を戴くと 季節の味を感じます。
 また大根の葉も 一度さっと茹でて きざみ 炒めて鰹節をまぶすと捨てるところなく 美味しく戴けます。


 次の写真は 温室の中で やっと芽が出揃ったソラマメです。
 今年はソラマメを植える場所が農園には無く あきらめていました。
 ソラマメの種袋をふと見ると 去年の種がまだ10粒ほど残っていました 豆類の種は あまり長い間おくと発芽が悪くなる と聞きいたこともあり 庭のプランターに植えてみることを思いつきました。
 あわてて 旅行に出る前に 予備を多めにとって ポット当たり3粒の種を蒔き 窓を開け放しにした温室の中に入れて旅に出ました。 
 種まき後 半月ほどかかりましたが 一応100%発芽しました。 これで ソラマメの種は1年間は置いても 大丈夫であることが判りました。

火曜日, 11月 17, 2009

プランター野菜と写真コンテスト


 旅行などで しばらくご無沙汰していました。
 その間に庭のプランターでは どの野菜も溢れんばかりの大きさになっていました。
 始めの写真のカブは 間引き土寄せ 追肥をしただけで その後 防虫網のトンネルを外すと急にカブらしい姿になりました。
 この段階では 2本を1本に間引いて 残した方のカブが 中カブ程になったら収穫することにしました。
 間引いたカブの葉は 柔らかい割に カブの香りがして美味しく戴きました まったく捨てるところがありません。


 次の写真は 大葉春菊です。
 この春菊は 草丈が20cm程に成長すると 葉を2枚残して摘み取り 収穫しました。
 しばらく経つと 残した葉の脇から新芽が伸びてきて また1葉を残して摘み取れます。 ただ春菊は 霜に弱いので 霜除けを施しておけば 春先まで収穫が続けられます。
 この重宝な春菊は この時期の定番葉物として毎年作っています
 春菊の中でも 香りの良さは抜群で 茎も柔らかく 軽く塩茹でするだけで手軽に戴けます。

 なお 他のプランターに蒔いた 小松菜とカラシナも間もなく収穫の時期を迎えます。


 3枚目の写真は 先週 区役所のロビーで開かれた「農業写真コンテスト」に入選し 展示されたトマトの写真です。
 何時ものコンパクト デジカメで撮影し 6月に このブログに掲載した写真を A4の印画紙にプリントアウトして応募したものです。
 全部で20枚ほどの写真が展示されていましたが 区役所と言う場所がら 被写体に子供か高齢者がテーマになっている写真がほとんどでした。

追って 奈良・京都の写真は 整理が出来次第アップ致します。