このブログは 小さな家庭菜園での野菜作りを中心に 写真を付けて メモ風に書いています。 平素 ”目肥” 即ち よく観察をして 野菜の要求を悟り 即時に対応するよう心がけています。 さて このブログを通じて 多くの家庭菜園 愛好の方々と お交わりが出来たことに感謝しています。 これからも「菜園ブログ」の軸はぶらさないで 少しづつ 範囲を広げながら 続けて行きたいと思っています。
金曜日, 11月 14, 2008
奈良と大阪へ
しばらくブログを お休みしました。
その間 秋の奈良に行って 興福寺の国宝館・東大寺の戒壇院と三月堂・新薬師寺など 主に 仏像を見て来ました。
奈良は冷たい雨が降る あいにくの天気でしたが 修学旅行をはじめ観光客で大変混んでいました。
写真は 観光ルートから 少し外れた 新薬師寺の本堂です。 ここに着いた時は 幸い雨も上がって 萩の葉のぼさぼさした黄色が 天平建築の簡素な佇まいを引き立てていました。
たまたま 今朝の新聞ニュースによりますと 新薬師寺の創建当時は 七堂伽藍 東西両塔が整った大寺院で 中でも 金堂は幅約59メートルのほぼ全面が階段と言う 当時の建築では珍しい構造の遺跡が出て来たとのことです。
しかし 現在残っている天平建築物はこの本堂のみで しかも この建物は 当時 食堂(じきどう)でした。
堂内は 観光客も少なく 薬師如来坐像をぐるりと取り巻いて安置されている 十二神将立像を一体づつ じっくりと拝観できました。
見上げると 天井を張らずに白い屋根板をそのまま見せ そこに垂木が等間隔に並ぶだけの簡素な造りが 天平建築らしい好い感じでした。
さて 今回の関西行きの主目的は 小学校の同期会に参加することでした。
我々 小学校の同期生は 全員 大阪の第一回大空襲で焼け出され ちりじりになった仲です。 それだけに求心力が強く 毎年この時期に集まって 旧交を温め合っています。
今年は 戦災によって焼失した母校跡に集合し 当時の面影が消え去った街に出て 各自の家らしい所を探して歩きました。 所々で昔話に花が咲き お互い 昔のことはよく憶えている年頃になったことを確かめ合いました。
上の写真は 母校にあった「花乃井」と言う井戸の現状です。 写真には写っていませんが 横に母校跡の石碑も建っていました。
この井戸は 江戸時代には岩見国津和野藩 亀井氏の屋敷井戸でした。 井戸の水は 大阪では珍しく良質なものであったことから 明治元年 明治天皇大阪行幸の際に献上し「此花乃井」の名を与えられ 以来 通称「花乃井」と呼ばれる名水でした。
明治2年の版籍奉還によって 津和野藩の屋敷は官に収められ 同5年に小学校が出来ても井戸は維持管理されました。
我々が通っていた頃は 学校の南西の角は鬱蒼とした木が生い茂って その茂みの中に蓋をされた井戸と「此花乃井」の石碑がありました。
戦災の後 街の区画整備と現在の中学校校舎建設の際に 井戸は ご覧の通り 石碑と井戸石の外形だけが 北東の角に移され 周りには冊が巡らされて覗けません ピンクに塗られた 建物は 現在の中学校校舎の一部です。 今や 「花乃井」の面影も かっての名水も なくなっていました。
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8 件のコメント:
良い旅行をして来られましたね。歴史小説の好きな僕は司馬遼太郎等の小説を電車で読みふけり往時を忍んで旅日記と言うHPのコーナーも作っておりました。
かみさんが陶器が好きなこともあり中部の窯元を周ったのですが僕は主に信長や秀吉、家康の歩いたところを見ました。
関東と違い関西、中部は歴史があり、何処に行っても何かしらの史跡があります。時間があれば今度は京都に行ってみたいですね。
今月後半には法事で九州に帰るので呼子でいか刺しを食べ近くの那古屋城址を見てこようと思っています。
2月にはイタリアに行きます。それまでローマ帝国の歴史を事前勉強しようと思っています。
モンカー 様:
歴史を尋ねるのは 思いが次々と膨らんで つい深入りしてしまいますね。
私どもが学生の頃は、日曜日には安上がりな奈良の仏像巡りが習慣になっていました。
先日 元 日経新聞の美術欄を担当されていた谷岡清さんの講座を受けて、久し振りに奈良の仏像を見たくなり 行って来ました。
2月に ローマへ行かれる由、少し寒いかも知れませんがいいですね。 私は仕事で行って 週末観光でしたから「ちょいそこ見物」ばかりでした。 ナポリまで 脚を延ばされたら如何ですか?
小学校時代の同窓会が毎年続けられているとは素晴らしいことですね。
「此花乃井」は史跡として保存されているようですが、周囲をコンクリートで固められては、その姿も以前とは大きく変わってしまったことかと思いますが、菜園ブログさんの記憶の中には昔のままの面影がくっきりと残されていることでしょうね。
waka3 様:
激動の時代でしたので、皆の思いも深いものがあるのだと思います。
前日 奈良で千年の歳月を過ぎても変わらない姿を見て来ましたので、その あまりにも大きな落差にショックを受けました。
記憶の中の面影を、大事にしなければなりません。
奈良は京都とはまた違った良さがありますね。私が好きなところです。
同期会ですか。いいですね。だんだんと古いものが失われていくのは残念ですが。
m.sasagawaさんが大阪大空襲に遭われていたとは・・・名水「花乃井」や、当時を同級生と共に偲び語り継ぐのは大事なことと思います。正直なところ東京大空襲ばかり聞かされていたので第二次等の大阪の空襲もあったのだろうと驚きました。
初めて観た天平建築の素朴な佇まいに心打たれました。
ポタ 様:
奈良は狭い所に ギュウと凝縮されていますので、印象が強い様に思います。
今回は、鎌倉仏のリアリズムが 印象に残りました。
会社の同期会と違って、小学校の仲間は お多福飴的でなく、いろんな味の人間が、一つの世界で違和感無く混じり合えるところがいいです。
「花乃井」はもう少しやりようがあったと思います。
kimama 様:
全焼でしたので、各人も学校も名簿が無くなり ばらばらになり、全員が行方不明になりました。 数年後、同じ高校でばったり出会ったりして、数人で手分けし、電話番号帳で一人々々当たりながら、今日の同窓会が出来ました。
第一回の空襲は焼夷弾だけでしたので、火の中を逃げられれば命は助かりましたが、第2回以降は 爆弾と焼夷弾の混合投下でしたので、恐ろしかったです。 今の歳だったら、逃げ終えられたでしょうか?
この建物の素朴な感じは いいですね。
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