火曜日, 2月 15, 2011

トマトの発芽・飛鳥山散策

 例年よりも 一週間遅く 発芽器 愛菜花にポット蒔きしたトマトが発芽しました。
 昨年は 4月の気象が異常で 4月の17日には東京で雪が積もりました 41年振りのことでした。 更に その後も4月25日頃まで 最低気温が6℃を割る寒い朝が続きました。
 この低温の影響で トマトは枯れることはなかったのですが 樹が痛み その後の 花芽の着き具合に大きな影響を被りました。
 そもそも 雨除け日除けを掛けない 路地でのトマト栽培では 梅雨明け以降も 樹上で真っ赤に熟した きれいなトマトの収穫を望むのは無理な相談です。 従いまして 可能な限りスタートを早めて 桜の花の散る頃に定植して 梅雨明け前には終えてしまうスケヂュールを立ててやって来ました。
 昨年の結果を受けて 今年は 次のような修正を加えることにしました。
 一つは 定植の時期を遅らせて 寒波の被害を受ける確率を減らすことにしました。 その分 種蒔きを一週間ほど遅らせました。
 次に 出来るだけ 早生種を栽培することにしました。
 従来も 早生種を重点に 品種選びをしていますが 何時もブログでお世話になっています waka3様のお作りになっている「スタピス トマト」は早生種で 是非一度作ってみたいと思っていましたので お願いをして 種をいただきました。
 写真のトマトは この「スタピス トマト」です。
 更に 2本仕立ての脇芽の選び方を変えようと思っています。
 今までは一段花房の下の脇芽を伸ばしていましたが これでは主茎よりも2段分実の生る時期が遅くなりますので もっと早い段階で出てくる強い脇芽を伸ばしてみようと思っています。
 さて 今年のトマトは如何になりますでしょうか? 

 2月も半ばになると一日に2〜3分づつ昼が長くなり その分 太陽の角度が高くなっているのが分かります。 相変わらず 吹く風は冷たくとも 日差し自体は温かくなっているのでしょう。
 その様な冬晴れの日 王子・飛鳥山界隈を歩いてきました。
 あの質素倹約を旨とした 8代将軍 吉宗が 上野や隅田川堤と同じく 王子一帯にも桜を植えさせ 桜の花見時には歌舞音曲も許したので 飛鳥山は江戸庶民の行楽地として賑わいました。 吉宗は 家臣に 遊山の人数について下問した という記録も残っていて そういう一面もそなえた将軍であったようです。
 昨年の花見時にも 飛鳥山に来ましたが その時は 花見客で園内を自由に歩けないほどの人出でした。 さすがに今は 人の姿もまばらで ゆっくりと見て廻れました。
 現在 飛鳥山公園には 3つの博物館があります「紙の博物館」「北区飛鳥山博物館」「澁澤資料館」です。
 渋沢栄一は設立した王子製紙の工場を眼下に見守ることの出来る この飛鳥山に 邸宅を構えました。 そして 明治12年(1879)から 昭和6年まで生活した場所が そのまま「旧澁澤庭園」として残っています。
 園内には 大正期に建てた 二つの建物「晩香盧」と「晴淵文庫」(共に国の重要文化財 指定)がそのままの姿で建っています。
 写真は「晴淵文庫」の正面です。 外壁には伊豆天城産の白色安山岩を貼り 中央開口部には色付けした陶板が用いられ 上部窓には澁澤家の家紋をデザインしたステンドグラスがはめ込まれて 色鮮やかな壁面が構成されています。

 飛鳥山を降りて 現在の本郷通りを都心方向に進むと この西ヶ原一里塚が道を挟んで両方にあります。
 慶長9年(1604) 家康は江戸に幕府を開くとすぐに 日本橋を基点として全国の主要街道に一里塚を築き 街道の道程を示す目安とすることを命じました。 西ヶ原一里塚は 本郷追分の次の一里塚で 日本橋から数えると 日光御成道の二番目の一里塚にあたります。
 旧道を挟んで一対の塚が現存しているのは 都内の一里塚としては貴重な文化財となっています。 
 実は 写真の左側の一里塚と2本の榎は 大正5年 東京市電の軌道予定位置にあったために 撤去されそうになりました。 澁澤栄一や東京市長・地元町長を中心とする地元住民の運動によって保存に成功したものです。(現在は その市電も撤去されて 本郷通りの上り車線が一里塚を迂回して通る形になっています)
 そう言うことで この一里塚は 大正時代に 文化人と住民が一体となって 文化財保存に成功した例としても記念碑的なものです。
 
 Picasaアルバムをクリックすると 飛鳥山の写真がご覧いただけます。