金曜日, 1月 29, 2010

新しいパソコンを使って

新しいパソコンは 小さくて 軽いのですが 今まで使っていたMacに比べると 格段の進化が見られます。
 今度のパソコン(Mac Book)は ノートパソコンのエントリーモデルですが 上位モデルと同じ OS(Mac OS 10.6)が組み込まれていて 多くの先進的な機能が使えます。
 その中の一つに Time Machine と称するソフトが入っています。 これは 自動バックアップシステムで 過去のファイルを時系列に従って 簡単に取り出せるソフトです。
 このTime Machineを使えば 外付けHDDをパソコンにUSB接続するだけで 後は 何もせずとも自動的に ほぼ その都度データーが 外付けのディスクに保存されます。 従って 誤ってデーターを削除した時も 書き換えた時も パソコンがトラブった時も すぐに以前の状態を呼び戻すことができる すぐれものです。
 最近は 大容量のディスクを組み込んだ 外付けHDDが手軽に求められる様になりましたので 早速 このTime Machineを利用することにしました。 上の写真の パソコンの左に立っている黒い箱が 外付けHDDで 容量は1TBあります。 それだけの容量があれば 私の使い方では このパソコンが働いている間は 充分の容量だと思っています。

 このTime Machineは にくいパフォーマンスを備えています。
 次の写真は Time Machineを開いた時の画面です。 満天の星が輝く宇宙の彼方に 何光年も以前に 新星爆発したものであろうか? 巨大な火の玉が見えています。 そちらに向かって 探しているファイルが 手前から奥に列んでいて 順繰りに探して行きます。(写真をクリックすると大きく見えます)
 Macパソコンの魅力の一つに パソコンを楽しく使おう とのコンセンサスがあります。 このTime Machineの場合も 過去のデーターを探し出す 面倒な作業を 時間のロケットに乗って 4次元の宇宙を旅している気分になれる仕組みがセットされています お陰様で すいすいと 楽しく探す気分になると言うわけです。

火曜日, 1月 26, 2010

大寒の農園

今は一年中で最も寒い「大寒」ですが 東京は晴天が続いて 比較的穏やかに過ごせています。
 農園の野菜たちも冬の陽をいっぱいに浴びて この日和には満足しているようです。
 九条ネギと西洋ネギも この時期は甘みが増して 柔らかく 食卓に登らない日はありませんし ブロッコリーの脇花蕾も さっと塩茹でするだけで 美味しく戴いています。
 また ホウレンソウや小松菜は 度々 登場していますが 毎秋10月に入ると15日〜20日ごとに 空いた場所を見つけては こまめに種を蒔いています。 そうしておくと 美味しい冬の間 欲しい時にいつでも収穫できます。
 左の写真は 11月の始めに蒔いた 秋3回目のホウレンソウです。 葉にタップリとストウチュウを2度散布しましたので 葉の厚みや色が良くなり ご覧の通り ぼつぼつ収穫の適期になっています。

 次の写真は 11月の20日過ぎに蒔いた ホウレンソウ(左の2筋)と 小松菜(右の2筋)です。
 ともに 4回目に種蒔きしたものです。 
 寒い時に芽が出るので 葉が地面に張り付いた様になっていましたが 先日ストウチュウをかけたら この陽気で 葉が立ち上がってきました。
 3月になると収穫できる予定です。


 3枚目の写真は その後のニンニクの様子です。
 寒さで 葉に元気はありませんが 3月に入って地温が上がってくると 元気になるだろうと盲蛇で ただ眺めています。
 ガイドブックに習って その頃には 2回目の追肥を軽く撒くつもりです 暫くは このままそっとしておきます。

 大寒が過ぎて 立春に入ると 恒例の トマトの種蒔きシーズン到来です。

金曜日, 1月 22, 2010

堆肥作りのない冬

 「野菜作りは まず堆肥作りから」と始めた経緯もあり 毎年 欠かすことなく 堆肥を作り続けてきました。
 堆肥を作らない この冬は ブログに毎年掲載してきた堆肥作りの記事を書くこともなく 手持無沙汰で やたらと 冬が長く感じられます。
 秋の落葉を掻集め 米糠と鶏糞に醗酵素を添加する速成法で完熟の満足できる堆肥を作り 春の野菜に間に合わせるためには どうしても纏まった量の堆肥を積み込んで 十日毎に 4~5回の切り返し作業が必要です。 
 この切り返し作業はかなりの重労働です とりわけ 腰痛持ちにとっては 年々応える様になりました。 
 更に 落葉に混ぜる鶏糞は 最近は 醗酵済み鶏糞の形で売られ 未醗酵の乾燥鶏糞は都会では手に入らなくなりました。 止むなく この醗酵済み鶏糞を使っての堆肥作りでは 初期の醗酵熱の出かたが低く あたかも1段目ロケットの噴射が弱い多段ロケットのようなもので 所定の期間内には 堆肥の醗酵が充分に進まず 満足のいく完熟の堆肥が得られません。
 そのような次第で この冬はついに堆肥作りを中止することにしました。
 来年以降は もっと少量で 切り返し作業も少なく それでも完熟堆肥が出来ると言われている 最近流行の「嫌気性醗酵」での堆肥作りも視野に入れながら 検討していきたいと考えています。


 さて アンコールワット展でクメール民族の石像を見てきました。
 この石像の写真は 入場券に印刷されている像で 高さが30㎝ほどの頭像です。
 12世紀〜13世紀につくられ 漢字で書くと「般若波羅蜜多菩薩」と名付けられた仏像です。
 始めて現物を見たクメールの石像は ピンク色がかった 柔らかな砂岩を彫って作られていますので 日本の石像とは 見た感じがかなり違います。
 また 同じ仏像でも オリエントから もう一度インドを経由して来たクメールの仏像と 中国を経由して来た日本の仏像との違いがでています。

 また クメールでは 王が神格化して 現実の王をモデルとして仏像を彫るので 写実的な仏像になり 生々しい像になっています。
 右の写真は「ジャヤヴァルマン7世の尊像」(12世紀末~13世紀初頭)です。
“王の意志の強さを感じさせる一方 慈悲深さ 寛容さまでも表現されている” と解説されています。
 なお 上智大学の石澤良昭学長らによって 2001年に発掘された274体の仏像のうち 11体の石仏も見ることが出来ました。

金曜日, 1月 15, 2010

プランターのソラマメ

 始めて ソラマメを プランターに植えています。
 この大きさのプランターで どの程度根が張れるでしょうか?
 いい花を咲かせ 3粒の豆が入った いい莢が着くような 太い脇枝が何本出るでしょうか?
 プランターでの支柱建ては どのようすれば倒れないか?
 アブラムシ対策は? 等々 気になることをかかえての試作です。

 11月23日付けで ポットに蒔いたソラマメの発芽写真をアップしました。(クリックすると その時の写真がご覧になれます)
 その苗を12月の初めに このプランターに定植しました。
 その際 一つ目のポットは 通常通り 3株のうち2株を間引いて ポットの根土を壊さない様にそっと 1プランターの中央に植えました。
 残りの2ポットは 根をバラして株分けをして 1プランターに2株づつ 2個のプランターに植えました。 また 発芽の遅れた株は 4個目のプランターの真ん中に植えました。
 その 現在の様子は 上の写真の通りです ここまでのところは 順調に推移しています。
 手数をかけて 植え方を変えてみましたが プランター毎に どんな差が出るのでしょうか? 
 昨年は 農園で 11月末に マルチ掛けした畑に定植して 防虫網トンネルを掛けてました。 この寒い時期なので 油断をしていたら 1月の25日に アブラムシにベットりと着かれているのを発見しました。 まだ実が着くまで 時間もあるので 消毒で徹底的に退治した苦い思いがあります。
 今年は 今のところアブラムシの気配はありませんが 念のための 下の写真の様にタフベルのトンネルを被せてあります。
 
 この後 昨年の実績では 3月に入ると 株元にしっかりと土寄せをして 追肥をしています。 そして3月の初旬には花が 咲き出しています。
 収穫は 4月の20日過ぎから 1ヶ月間ほどでした。
 今年は如何なるでしょうか?

金曜日, 1月 08, 2010

久我山稲荷神社

 農園への途中に「久我山稲荷神社」があります。
 この神社は 古くから此処にある 久我山の氏神様です。
 この辺りの地形は 久我山の地名が示す通り 小高い陸(くが)がつながっています。   
 神田川は この陸の間を 長年にわたって削りながら流れているので 川の両岸は かなり急な坂になっています。
 左の稲荷神社正面写真でご覧の通り 急な石段を30段以上も登った所に社殿が建っています。
  そして この撮影場所の後ろを神田川が流れています。
  また 前の道は かっての鎌倉街道の一つです。 この先 左折して神田川に架かっている「宮下橋」を渡り 対岸の急な坂を登って 府中へ抜ける古い道です。

 この神社には いろいろな言い伝えがあります。
 その中で 今年の大河ドラマ「龍馬伝」に因んで 幕末の剣士「近藤 勇」に関する話をご紹介します。
 近藤 勇の出庄は 前の道を通って 現在の三鷹市と調布市の境 当時の 武州多摩郡上石原村です。 そこで 彼は15歳の時に 既に剣の素質の素晴らしさに目を付けられていたと言はれています。

 新撰組 頭としての彼の働きについては論を俟ちません。
 その彼が 板橋において 政府軍の手によって囚われの身となりました。 近藤 勇の取扱いについて 坂本竜馬 暗殺の犯人は新撰組であると信じる土佐藩は処刑を主張し これに対して 薩摩藩は 京都で正式な裁判を受けさせるべきであるとして 両藩の対立があったと言われています。
 結局 慶応4年4月25日に板橋で斬首されます 近藤 勇 享年35 でした。
 その1ヶ月前 3月14日には 既に西郷隆盛と勝海舟による江戸城無血開城の合意がなされて事実上停戦が成立していました。 また勝海舟の耳には 事前に 幕臣 近藤 勇 囚わる の報が届けられていたとも言われています。 当時の世の中の 混乱・無秩序ぶりが伺えます。

 さて その斬首の現場を 身内3名が はからずも目撃していました。
 彼等は 実父や門人に相談をして 埋葬されていた遺体を 夜陰に乗じて密かに掘り起こして 近藤家の墓がある 三鷹の龍源寺に埋葬することにしました。
 処刑の翌々日 27日の夜 門人合わせて7人の男が 板橋に出かけ 刑場の番人に包金を握らせ 首の無い遺体を大八車に乗せて 板橋から休憩もとらず 足を速めて運び この前の道を右手方向から久我山稲荷神社下まで来ました。
 幸い 追っ手の姿も見えず 東の空も白み 隣村まで来たという安心感から ここで休憩を取り 馬には 神田川の水飲み場で水を飲ませました。 
 三鷹に近い香りの水を飲んで つかの間のホッとした休憩をとった人馬は 宮下橋を渡って その道を三鷹に急いだ という話です。
  
  

月曜日, 1月 04, 2010

侘助が咲きました


 年が明けて始めての更新です。

 今年のお正月は 冬型の気圧配置が続き 太平洋側の各地は 朝の冷え込みは厳しいものでしたが 日中は 冬晴のお天気に恵まれました。
 庭の侘助も 艶やかな花を点々と点けて新年の気分です。
 色の濃い蕾が 多く見られますので これからしばらくは 次々と開花が楽しめそうです。

 三ヶ日も明けたので 農園に出向いて 久し振りに ホウレンソウやネギ等 冬野菜を収穫してきました。
 当分の間 農園では もっぱら収穫オンリーになりそうです。

 今年も宜しくお願いいたします。