日曜日, 6月 26, 2011

収穫期を迎える・越後 出雲崎

 梅雨前線が 上下する度に 昼間の気温は10℃もの差が生じます。
 真夏の気温を感じて 夏野菜の収穫が一気に進むようになりました。
 胡瓜は 朝 晩 穫りに行かないと オバケ胡瓜になってしまいます。
 写真の大型シシトウ「福耳」も 2段花房が収穫期になりましたので 収穫数量が一気に増えました。 
 今の時期の「福耳」は辛味が低いので 種さえ取れば ピーマン感覚で食べられますが 梅雨が明けると 一気に辛味が急増してきます。

 ここ数年来 夏野菜の仲間に入っている 赤シソジュース用の「チヂミ葉赤シソ」も 第一回目の刈取りをしました。
 1段の 脇芽は残してありますので 1月後 第2回目の収穫をします。 3回目になるとシソの葉色が緑かかり ジュースの色が黒っぽくなるので 葉の収穫は2回で終えます。 
 3月に種を蒔いて以降 無農薬を徹底するために 防虫網トンネルの中で育ててきました。
 この後 葉だけを摘み取り 目方を計るとNet 630grありました。 酢の匂いの少ない醸造酢「タマノイの穀物酢」2L で煮出し よく絞って 砂糖 2Kg を加えて 4リッター弱の 赤シソジュースが出来上がりました。これを 5〜6倍の冷水或は無糖のソーダ水で薄めたり プレーンヨーグルトに加えると 夏時の健康にいい酢を 見た目もさわやかで 苦もなく 摂取することが出来ます。
 また 水は一切添加していませんので 長期保存する分は冷蔵庫に入れて置くと1年間 カビの心配がありません。

 学校の ミニトマト「イエローアイコ」も色着き 収穫期を迎えました。
 昨年は 定植後の異常寒気で 収穫が遅れましたが 今年は 全部で36株の中 1株が定植後まもなくモザイク病を発見して 抜き捨てましたが その他の株は順調に育っています。
 2回目の追肥も終り 支柱の高さいっぱいになった株から 芯を止めつつあります。
 昼休みには 生徒達が 水遣りや 世話をしに来ますが 色着いた自分のトマトを見つけると つまみ取りして食べています。
 「美味しい」と満足そうな様子でした。

 仲間4人と 車相乗りで 越後出雲崎への一泊旅行に出かけました。
 出雲崎の街は ご覧の通り 海と山に挟まれた狭い所を 街道が一本通っていて その両側に かろうじて 一戸づつ家が建つ地形です。
 江戸時代は 街道に面した間口の長さで 税が課せられ どの家も 狭い間口に 長い奥行を持った家になりました。 家の建物様式として 切妻面に出入口を設ける「妻入り」の家が 北国街道に沿って4キロ近く並ぶ「妻入りの街並」です。
 その面影を今に残しているのは 全国的にも珍しく 末永く残していきたい風景です。

 出雲崎は 佐渡の金銀を陸揚げする港として 徳川幕府の直轄地(天領)になりました。
 更に 金銀を江戸に運ぶための「北国街道」が整備され また廻船の寄港地にもなって交通・交易の要所として宿場が形成され 江戸時代を通じ この地方一帯の政治・文化・交通の中心としておおいに栄えました。
 その間 良寛がこの地に生まれ 芭蕉が訪れて『荒海や佐渡によこたふ天河』の名句を残し 十辺舎一九や吉田松陰など 数多くの文人墨客の往来がありました。

 良寛は出雲崎の名主橘屋の長男に生まれ 18歳で出家し 22歳で備中玉島円通寺に赴き 国仙和尚に従い得度 厳しい修行に耐えた後 自らの寺を構えることなく清貧の思想を貫き通しました。
 写真の像は「良寛と夕日の丘公園」に建つ 子供達と語らう実物大の像です。 また 始めの写真で 佐渡にむかった海辺に建つ小さなお堂は 生家橘屋の敷地跡に 画伯 安田靫彦が設計した「良寛堂」です。
 その他 「良寛記念館」には 日本美の極致と評価され 漱石が絶賛(当時の金で 千円出すから探して欲しいとの依頼書簡が残っている)した良寛の遺墨や 良寛の逸話をテーマにした棟方志功の作品 等々 見どころがたくさんあります。

 日本海の新潟県から 富山湾にかけては 北からの寒流が 南からの暖流の下に潜り込み その境目には魚の餌 プランクトンが豊富なために 魚の種類が多く あぶらがのって美味しいので有名です。 お陰様で 新鮮な 魚をたらふく戴きました。
 土産は ここの名物サバの浜焼を 前日から予約をしておき 持って帰りました。 写真は「浜焼屋」で早朝から炭をおこして 串に刺した魚を焼いている様子です。
 土産の浜焼は 持ち帰って チンをして熱々を美味しく戴きました。
 幸い 天気にも恵まれ 久し振りで 素晴らしい日本海の夕日を ゆっくりと見ることも出来ました。
 その他の写真をピカサ アルバムにアップしています ここをクリックするとご覧いただけます。

火曜日, 6月 14, 2011

プランター菜園・秋川渓谷

 プランターに植えたトマトが大きくなりました。
 30×45×深さ30㎝ のプランターに1株づつ 二つのプランターに中玉トマトを2株植えています。 ここでも2本仕立てにしました。
 ご覧の通り10段まで花芽が付き 2100㎝の支柱竹の先端まで達しています。  
 この高さが 手の届く限界ですので ここで芯を止めました。(ここまで伸びると 毎日の水遣りが大変です)
 実が熟して赤くなると 住宅街の真ん中でも カラスに攻撃されますので 夜は実に排水孔ネットを被せて 早朝のカラスの攻撃に備えています。
 取り忘れて 大きくなった脇芽は プランターの空いた場所に挿しておくと ほとんど100%活着します。 
 左の写真は 活着した挿し芽の様子です。
 早い時期に差した芽は 既に花が咲いていますので 挿し芽からでも 2段ほどは花が咲いて 実も生るでしょう。
 プランター菜園では 手軽にこの様な遊びが出来るのも楽しみの一つです。


 昨秋 農園で 隣の方が植えていたイチゴのランナーが伸びて来て うちの区画まで越境し そこで根着いてしまいました。 
 お隣の株主から そのランナーの芽を頂戴して帰り プランターに植えておきました。
 春になると花が咲き ご覧の通り実が生りました。
 同時にランナーも3本出て来ましたが 園芸雑誌の教えに従い 春 実の生っている時に出るランナーは 実の肥大の邪魔になると言うことで切り取りました。
 このイチゴの実は 特別に大きくはありませんが 味 香りがいいので これから出てくるランナーを伸ばして 秋には株を増やし イチゴのプランター栽培を楽しむつもりです。 

 車で中央高速を走って 八王子JCTで圏央道に乗り継ぐと 我が家から小1時間で 東京とは思えない 自然の残っている 秋川渓谷 岩瀬峡に着きます。 澄んだ水に いろんな形をした岩が調和して 初夏の新緑 秋の紅葉が 心を癒してくれる所です。
 6月になり ここの鮎釣りが解禁されたので 鮎の姿焼きを食べに行きました。
 上の写真は250年前に建てられた庄屋造りの家を ここ岩瀬峡 左岸の傾斜地 竹林の中に移した店です。
 黒光りした太い柱や梁 長い廊下や使い込まれた手すりなどが そのままの造りです  門の脇には いつ行っても 苔のはえた大きな水車が コットン コットンと廻っています。
 ここの料理は この辺りでとれる山菜や季節の食べ物が主で 竹林の竹で作った 竹の器に盛られて出てきます。
 また 朴葉焼きも ここの自慢料理の一つで 大きくなった朴の青葉を 前菜のカバーに使われているのも 趣のある演出でした。
 写真の前菜の後 鮎の姿焼き 山菜汁 筍土佐煮ジャガ芋餡 山菜の天ぷら 青じそご飯 汁 香の物 スイーツ 最後にここの名物おやき と盛りだくさんでした。
 食後 部屋のガラス障子を開けると 木の間越しに 岩瀬峡の流れが眼下に見えます。
 窓辺に寄ると 心地よい川風がほほをなぜ せせらぎの音が聞こえます。
 ふと耳を澄ますと オカリナの笛の音が とぎれとぎれに響いています。
 川岸の何処かで 誰かが練習しているのでしょうか その音は 切り立った狭い両岸の新緑にこだまして アンデスの山の中に居るような不思議な感覚になりました。
 お陰さまで この一日 現代の喧噪を離れて 心が洗われる時を過ごすことが出来ました。