木曜日, 12月 28, 2006

アシャンティの木像


 年の瀬も迫りました。 今日は野菜と関係のない木像の話題です。

 最近アナン国連事務総長交代のニュースが新聞・テレビで報道されています。
 アナン氏は 2期・11年間 第7代の国連事務総長として活躍され 今年一杯で交代されます。 その間ノーベル平和賞も受賞されました。 アナン氏はこの木像と同じガーナのアシャンティ出身者です。

 アシャンティはガーナの中央部に位置する地方の名で 18世紀にはアシャンティ王国として栄えた地方です。 ガーナが英国に植民地化される時に 最後まで抵抗したのがアシャンティ王国で そこに住んでいる人はアシャンティ族が中心です。 彼らは勇敢で高いプライドを持ち 彼らの文化を今に伝えています。 首都クマシには博物館・文化センター等が残っています またアフリカの織物の中でも有名なケンテクロスはアシャンティの王侯貴族の為に織られた鮮やかな色と柄の布です。 アシャンティ族の人々は皮膚の色も薄く 体格も海岸地方に住んでいる人達ほど大柄ではありません 特に女性は小柄で目鼻立ちの整った美人が印象的です。

 37年も昔 1969年の雨季が明けた10月に西アフリカのギニアに入り その後ガーナに移動して 合わせて約1ヶ月半を西アフリカで過ごしました。 滞在の目的はアルミニューム原料のボーキサイト鉱床の調査でした。
 ボーキサイト鉱床は薄い表土層で覆われ 背丈ほどの草が一面に生えた草原のサバンナ地帯です。 小川で区切られた一つの台地は ジープで1時間走っても横断し切れないアンツーカー色の赤土で「プラトー」と言われています その「プラトー」が無限に連なった大平原です。
 日本を出る時には「猛獣に襲われはしないか?」と心配していましたが 猛獣は1度もお目にかかりませんでした。 現地で何よりも恐れられていたのは「ツェツェ蝿?」と呼ばれている大型のアブでした。 暑い炎天下の草原をジープは幌を張って走ります 一匹でもそのアブが車内に紛れ込むと ただちに停車して大男が全員で一匹のアブ退治をする滑稽な光景を繰り返しました。
 想えば 珍しいもの 楽しかった事 美味しかった物 等々限がありませんが 長年が経った今でも比較的鮮明に残っている この西アフリカでの1ヶ月半でした。

 さて鉱床調査最後の宿泊地クマシでは 欧風のまともなホテルに5日ほど寝泊り出来ました。
 このホテルのエントランスの両側に 来訪者を出迎えるかのごとく数体づつの木像が並んでいます ホテルの係員の一応の説明では この像はアシャンティの謂れある像だとのことでした。
 この木像を眺めているうちに 非売品で買うことは無理だろうと思いつつも 一番小さい像でもいいから手に入らないかとの思いが膨らんで来ました。 当時は外貨の持ち出しが厳しい時代で その上 ガーナでは為替レートに数倍の闇レートがあった時でホテル代が非常に高く 懐具合に余裕がありませんでした。 財布の中を見ながら ホテルと何回もの交渉を重ね やっとUSドル決済でこのアシャンティの木像を手に入れることが出来ました。
 最後の難問は どうして日本へ送るか?でした。 像の背丈は80cm足らず 重量は南方木材で出来ているので見掛によらず軽く3kgほどです。 そこで徒に梱包などしないで下げて帰った方が安全だろうとの結論になりました。
 羽田空港に辿り着くまで何度も飛行機を乗り降りする度に 座席には持ち込めないので 乗務員と個別交渉をしました。 座席の窓からスチュヮデスのお嬢さんが大事に木像を抱っこして運んで下さっている姿を見てほっとしたこともありました。
 年の暮れの煤払いに 久し振りで像を青空の下に持ち出しました 今年はアナン氏に因んでこの写真を撮りました。

日曜日, 12月 24, 2006

堆肥作り 積込み


 西高東低の冬型の気圧配置になって 東京は乾燥して寒くなりました。
 残り少なくなった白菜にも乾いた西風が容赦なく吹き付けます。 結球した白菜の葉枯れを防ぐために外葉で包むと ご覧の通りの着膨れスタイルになります。 例年クリスマス時の菜園の風物詩です。
 今年の白菜はご多分に漏れず順調で 結球の太りも例年以上に早く この白菜(品種は「王将」)は巻きも固くどっしりとして体重は4kgを超えています。 この調子では割れも早いと思われます 年が明けると早々に抜き取って新聞紙に包んで保存します。

 さて延び延びになっていました堆肥の積込みは 昨年までの作り方に2点の変更を加えて積込み作業を終えました。
 第1点は鶏糞です。 乾燥鶏糞の入手は不可能と判りましたので 醗酵鶏糞を使い量は昨年の5分の1に減らすことにしました。 その分醗酵温度の上がりが遅く 3月末迄に堆肥が出来れば良いことにしました。
 第2点は堆肥の量です。 残念ながら腰痛に配慮して 昨年まで作っていた量の半分に減らすことにしました。 不足分は購入堆肥で補うことになります。
 なお 具体的な積込み作業と材料につきましては昨年の12月16日及び19日付けのブログ「堆肥作り」と基本的には変りません。 ただ材料の量は上述の通り 乾燥鶏糞は5分の1に その他の材料は2分の1に変えました。 また積込み枠は真中に仕切板を入れて体積を2分の1にしました。
 多分温度の上がり方が遅いと思われます。 昨年まではほぼ1週間間隔で切返し作業を行い 5~6週間で醗酵を終えていましたが 今度は温度の上がり具合を見ながら まず第1回の切返しから様子を見ることになります。
 昨年のブログは「堆肥作り」をクリックすると参考にご覧頂けます。   

木曜日, 12月 21, 2006

小松菜の第3弾


 この秋3回目の小松菜は10月の末に種を播き 不織布のベタ掛けをしました。  比較的気温も高かったので  11月にもかかわらず4日目に発芽しました。 その後2回の間引きをし 2回目の間引き苗は40株ほどをシシトウの跡に移植しました。

 小松菜は 今は周年栽培されていますが かっては「冬菜」と呼ばれ 寒くなって霜が降りると葉色も濃くなり甘味がぐっと増す冬の葉物野菜です。
 序ながら物の本によりますと 8代将軍吉宗が「小松菜」の命名者だそうです。 数多の野菜の中で将軍からの命名の栄に浴したのはこの小松菜を措いては無いでしょう。
 また 栄養面でもビタミン・ミネラル・カロチン等 あのホウレン草よりも総合評価では高い野菜です。

 将軍吉宗は汁の具に入っていた小松菜が気に入ったようですが その他に煮物・炒め物など多くの食べ方で親しまれています。 私は超簡単こそがベストで 油揚との炒め物で戴くことが多いようです。
 その際 配慮している点の一つは薄揚げを焼いて焦げ目を付けてから細い短冊に切っています。 二つ目は小松菜の軸と葉を別々にして3cmに切り 炒め鍋に胡麻油を多目に入れて強火でまず軸を炒め 油が回って色が変ったら葉を入れ サット回して油揚も入れて混ぜます。 そしてポイントの三つ目は炒め過ぎないことで 炒めると言うよりも熱した胡麻油と和える感覚にしています。 最後に醤油をサット回し掛けて醤油の焦げる香を付けます。 あと 好みで粉の唐辛子を振りかけています。
 現在は10月10日に播いた第2弾の小松菜を収穫中です。 何回にも分けて種を播いていますので 冬の間中新鮮な小松菜が戴けます。  

月曜日, 12月 18, 2006

堆肥作り 古畳の解体


 堆肥の材料には 落ち葉と一緒に切藁も混ぜます。
ところがその切藁の入手が難問です。 最近 大きな園芸店へ行くと長い藁は束にして売っていますが 切藁は屑のイメージがあるのか?売っていません。 長い藁は高価で 細かく切って堆肥に入れる様な代物ではありません。 
 そこで 師走の風の無い小春日和の日に古畳一畳を解体して 短い切藁は堆肥材料に使い 長い藁は夏野菜の敷藁用として袋に入れて保管しています。

 ところが この古畳がまた なかなか手に入らなくなりました。
 昔からづっとお付合いをしている古い畳屋さんでも 芯が藁の古畳はなかなか回ってこないそうです。 日本伝統の素晴らしい床材である畳が このまま消えていくのか?気になります。
 その畳屋さんに この秋涼しくなってすぐ頼んでおいた一畳がやっと届けられました これで今年の堆肥作りの藁はなんとか確保出来る見通しになりました。 
 この古畳はカッター1本と横一ドライバー1本とハサミを使って解体します。
 畳に使われているナイロン糸は抜き取って捨てないと何時までも畑の土壌に残るので 手間はかかりますが全部の糸を抜き取っています。
 1本1本の糸を抜きながら 1本の藁もはみ出さないよう丁寧に糸を通す この畳作りに取組む気質(かたぎ)が消えていくのではないかと案じていました。 
 
  

日曜日, 12月 17, 2006

正月用のホウレン草


 例年10月の10日前後に お正月用のホウレン草は種を播きます。
 今年も同じ頃に種を播きましたが この秋はエルニーニョ現象の影響か?東京の気温が高く ホウレン草はご覧の通り順調に成長し 間もなく収穫適期を迎えます。

 秋野菜の発芽・成長に影響が大きいと思われる最低気温を調べてみました。
 手許の記録を基にして計算してみますと10月10日から11月30日までの間 東京の最低気温の平年値との差はなんと+2.3℃もあります。
 この差は この時期では約半月ほど季節が遡ることになり 正月用のホウレン草が早々と収穫適期を迎えるのもうなずけます。

 因みに 写真に写っている 後ろの背の高いホウレン草は10日余り早く播いたものの最終分です。
 ホウレン草は収穫後30分以内に食べる味が本当のホウレン草の味だと言われています。 生真面目に教えを守って 食べる分づつ収穫してきた残りです。 これも家庭菜園ならではの特権です。 
    

金曜日, 12月 15, 2006

ちりめん葉のカラシ菜


 宮城県の採種場が種を販売しているカラシ菜です。
 去年の秋に始めて種を手に入れて播き 今年が2年目です。
 ご覧の通りこのカラシ菜の葉は色が鮮やかで パセリのようにちりめん状に縮む丸葉です。 葉は大きくて葉肉は厚く 柔らかで適度のから味があって 独特の風味は漬物に最適です。

 9月の中頃に3筋播き 2回ほど間引きと軽く中耕・土寄せをし 追肥は1回だけ化成肥料をほんの少しパラパラと撒きました。
 播種後1ヶ月ほど経って 本葉が20~30cmになった頃から葉の摘み取りを始め 1週間間隔で次々と大きくなる葉を収穫しています。
 持ちかえったカラシ菜の葉は 沸騰前のお湯にサット潜らせます。 そうすることで 折れ易い葉がしんなりとして扱い易くなり 熱を加えることによってカラシ菜独特の香が引き立ちます。 冷まして 水気を切り 葉の重さの3%程の塩と 種を取った鷹の爪を好みの数だけ挟み 重石をします。
 半日ほどで水が上がって来たら 重石を減らし 2日後には 歯切れと香のいいカラシ菜の浅漬けが戴けます。

 このカラシ菜は葉が柔らかいためか 意外と寒さに弱く霜に当ると色が悪くなります これからは霜除けの保温トンネルに入れてやります。
 このカラシ菜は来秋以降も 冬野菜としてずっと播き続けるでしょう。

日曜日, 12月 10, 2006

美味しくなった聖護院大根


冷たい雨も上がって 今朝は一転して気持のいい天気になりました。
 関東地方の12月は 結構「小春日和」の日が訪れます。 気温は低くても風が弱いので 日の当る所では寒さを感じません。 湿度が低いので屋外活動をするには心地よく動くことが出来ます。 今日はそのようないい日になりました。
  
 残り少なくなった聖護院大根は 堂々として安定感のある姿で 茂った葉を支えている様子です。 太り過ぎてスが入っていないか?心配しながら引き抜きましたが 幸い杞憂でした。 写真でご覧の通り綺麗な肌をしていました。
今年の大根や白菜は 新聞やテレビでも報道されていますが 天候に恵まれて何処でも順調なようです。 農園でもあちこちの大根畑でみごとなイナバウヮーの競演が見られます。

 聖護院大根は持ち帰って 根は大きいので半分にして煮物で 葉は炒めて早速戴きました。
 このところの朝晩の冷え込みで 味はぐっと締り 大根らしい香も良くなって満足しました。 

金曜日, 12月 08, 2006

ターサイの移植


 長ナスの跡地は日当りが良いので 早速ターサイを移植しました。 写真はその移植後10日ほど経った姿です。
 
 ターサイは10月の中頃に ホーレン草や小松菜と同時に 条播きしたものです。
 その時播いた小松菜は既に収穫を始めていますし ホーレン草も株張りが良くなり葉も肉厚になって間もなく収穫期に入ります。
 それらに比べると成育の遅いターサイも 3回目の間引きを必要とするほどになりました。 その間引きの際にしっかりした株を選び  根を付けたまま堀り出して ナスの跡地に移植したものです。
 
 この時期の移植はほぼ100%活着します。
 移植する株はフォーク等を使って根を切らない様に堀り出し その根を土に埋た後はしっかりと周りを押さえます。
そして 農園では「気付け薬」の呼び名を使っている 過燐酸石灰500倍の水を静かに 埋めた根が土にしっくりと馴染む気持で 遣っておくと3日程で活着して移植苗として立派に成長します。
 移植の手間はかかりますが この寒さでは 如何にターサイが寒さに強いとは言え 今から種を播いたのでは何時芽が出るか判りません。 こうして移植しておくと 他の野菜なら成長を休止する真冬になっても ターサイは寒風をやり過ごす様に地面にピッタリとへばり付いて 30cm程の円形につやつやした葉を広げます。
 真冬のターサイは甘味も出て一年中で最も美味しい時です。
 戴き方は中華風の炒め物がいちばん合っているようです。

火曜日, 12月 05, 2006

シシトウの片付


 半年の間畑で頑張ったシシトウを片付けました。
 シシトウは3月の末にポットに種をまき 本葉5枚の5月中頃に畑に定植しました。 7月に入ると収穫が始まり 梅雨明け頃から本格的な収穫期になりほぼ毎日収穫が続きました。(その頃の様子は8月2日付け「シシトウの季節」をクリックするとご覧頂けます)
 9月に入って一時の中休みを挟んで その後はまた いい時の状態に戻りました。
 12月になって朝の気温が5度を割るようになると さすがのシシトウも 葉のみずみずしさが消え 細い枝は折れ易くなりました。 もう花は咲きませんし 着いている実の肥大も止り 片付けることにしました。
 このシシトウはヘタを落として 強火で焼き 醤油をかけるだけの簡単レシピで食べると旨味があって 特に ビールのツマにはぴったりです。
 今年は農園仲間の「ビールの友」としても好かれました。

 農園のシシトウを片付けて帰って来ると 小さな温室の中で 鉢植の「唐辛子」の花が1輪だけ残っていました。 黒い小さな唐辛子の実も見えます。 片付けてきたシシトウを思い写真に残しました。

日曜日, 12月 03, 2006

堆肥作り 落ち葉集め


 農園での野菜作りを支えているベースの一つに自家製の完熟堆肥があります。
 この完熟堆肥は かなり汚染が進んでいる土壌で 土壌消毒に頼らないで 少しでもまともな野菜を育てるためには欠かせないものです。 毎年タップリと土壌に混和して 土壌条件を整えて野菜の成長を促し 汚染によるばい菌に拮抗させる様にしています。 

 堆肥の主原料は落ち葉で ケヤキとクヌギの落ち葉を集めています。
 イチョウや桜など堆肥醗酵に好ましくない木の葉や ゴミは出来るだけ避けてケヤキとクヌギの落ち葉だけを集める公園を一つづつ決めています。
 この秋は例年に比べて暖かなので ケヤキの紅葉も遅れるであろうと思っていましたが 先日の雨と冷え込みで急にケヤキの葉も散った様です。 このケヤキの葉を集める公園でも北の端の数本を残してほとんど散っていました。
 慌てて大きな麻袋を持って来て ケヤキの落ち葉をぎゅうぎゅうに詰めて帰りました。
 帰りがけに 枝に残ったケヤキの紅葉に西日が映えてキラキラと赤く輝いていましたので写真に撮って帰りました。
 この後 クヌギの落ち葉を集める公園にも行って こちらも麻袋に一杯詰め 落ち葉集めは終りました。 
 いよいよ堆肥作りのスタートです。