月曜日, 11月 05, 2007

大徳川展を観る


 夏から身近なお地蔵さんや庚申塔など 民間信仰の石像を写真に撮ったり伝説を調べたりしてきました。
 資料によりますと 現在杉並区に400体近い石像が残っていて 約300体は建立された年代も判っています。
 その建立の時を年代別に並べてみますと まず寛永年代の1体が最初で それ以前には見られません。
 更に 寛文年代(1661~)から宝暦年代(~1764) の100年間に約200体 全体の3分の2が建てられています。 その後現在までの250年間には100体しか建てられていないのを見ると 江戸時代中期の寛文・元禄・享保を含むこの時代に 如何に石像が集中して建てられていたかがうかがわれます。
 戦乱の世が治まって 人々の生活の場が定まり かつ 既存の神社・仏閣への信仰とは別に一人一人の心の癒しを求める蔭の信仰が高まってきたのではないでしょうか?
その時代は 徳川幕府では3代将軍家光までの武断政治から 家綱・綱吉・吉宗へ繋がる官僚政治の時代になって世の中の空気も変わり 信仰の心に支えられた一般の人々の 活力が漲った良き時代であったのだろうと推察されます。

 この様な江戸時代中期への関心を持って 今 上野の国立博物館で開かれている「大徳川展」へ行って来ました。
 300点以上の品々は 我々の身の回りの品とは別物として 鑑賞するには興味ある品々で 見飽きすることはありませんでした。
 掲載しました写真はカタログからの転写ですが 寛政(1789~) 年代に10代将軍の娘種姫が着用していた夏用(左側)と冬用の上着です。 現物を見ますと 素人の目にも絞りや刺繍など高度な技法に驚かされます。
 また 左側の模様配置は 幾何学的な亀甲花菱文と清楚な花々を適当な空間に取り合わしています。 同じ繰り返し模様でも 現在の繰り返し模様とは違って 何処までこの模様を続けるか?の作者の意図が感じられる様に思いました。(写真をクリックすると画面が大きくなって よく見えるようになります。)
 人々の心豊かな良き時代に作られた品々に囲まれて 心地よい時間を過ごすことが出来ました。

 11月に入ると気温も下がって 野菜の成長もゆっくりになってきました。 一両日畑に出なくても 野菜達の状況が急変することはありません。 それをいいことにして 今日は野菜と関係のないブログになりました。  
  

17 件のコメント:

kimama さんのコメント...

畑を毎日見回らなくても済む時期になりましたね。
杉並区内に今も、400もの石像が残っているなんて驚きます。上尾(埼玉)には馬頭観音を、よく見かけましたが・・・千代田区を中心に生活者が区分けされていた名残でしょうか。実家の川越寄りは綱吉の時代に開拓された地域なのです。
将軍家の姫の着物に、日本の高い技術力をみてとり模様への好奇心などに感心いたしました!

M. Sasagawa さんのコメント...

kimama様:
 有り難う御座居ます。
 kimamaさんのご実家は川越ですか、中央線の鉄道が出来るまでは青梅など江戸の西部は川越経由で流通されていた様ですね,川越には古いものがいろいろ残っているので、ゆっくり廻ってみたい所です。
 上尾に馬頭観音が多いのは、昔の農耕は馬が貴重な労働力でしたから、その馬の供養塔の意味合いが強かったのでしょう。
 着物のことはよく判りませんが、柄のセンスと高度な技術力は、今の人達は到底及ばないのでは?と思います。

ポタ さんのコメント...

私の家の近くには板碑があったのですが、宅地造成とともにどこかに消えてしまいました。
杉並には知人も何人かいますが、文化活動も盛んな地域ですね。だから、こうした者もたくさん残っているのでしょう。住民の意識の高さを感じます。

M. Sasagawa さんのコメント...

ポタ様:
 特に区民農園のある久我山は、昭和の一桁時代に井の頭線が通るやうになって、住宅化が進んだ所です。
 文士や画家が多く住んで居ましたので、町の意識が高い様です。何時も通る農園への道の途中に、元東郷青児の住んでいた家がありましたので、二科会の方が多く久我山に住んでおられた様です。
 一方、江戸時代からの農家一族が沢山残っていて、その双方の融和がうまくいって、他の町と比べても非常にいい町だと思います。

waka3 さんのコメント...

私は今のところ「庚申」なるものに、興味を覚えておりませんが、板橋に住んでいる私の兄があちこちと庚申塔を訪ね歩いているようです。
数年前に「風の散歩道」と称してホームページを開設したいということで手ほどきをしましたが、何とか一人歩きできるようになって、ここ一年以上覗いてもいませんでしたが、いまだにどうやら頑張っているようでした。(笑
よろしかったら一度覗いてみて下さい。
   ↓
http://members.jcom.home.ne.jp/ho-waka/

睦月 さんのコメント...

200年以上も前に作られた着物なのに、すごく綺麗な色ですね。
当時でしたら、化学的なものではなく植物を使って染色していたはずなのに・・・。
紅は、おそらく蘇芳、茜、紅花でしょうね。
茶系の色は、樹皮を使ったものでしょうか。
伝統工芸の手法は、ほんと、繊細ですね。
石像。こちらでは古いものはあまり見かけません。
ただ、近所での田圃の畦に「たのかんさん」と呼ばれる、お地蔵様はあります。
関西では、神様を「かみさん」って言いますから、「たのかんさん」は「田の神様」ですね。

M. Sasagawa さんのコメント...

waka3様:
 有り難う御座居ます。早速「風の散歩道」を拝見させて頂きました。
 お兄さんは本格的な活動で、私等とはレベルが違いますが、waka3のお名前を拝借させていただいて、これから読ませて頂きたいと思います。 宜しくお願い致します。

M. Sasagawa さんのコメント...

睦月様:
 染料のことにはお詳しいですね、その筋のお仕事をされておられるのでしょうか? 私は化学会社に居ましたので、工場勤務時代は、染料工場で実習したこともあります、勿論化学染料です。
 私も関西で生まれ育ちましたので「カミサン」ですね。 鹿児島では江戸時代の前から、田の端に石像を建て「タノカンサー」と呼んで豊年を祈っていた様です。

HISA さんのコメント...

菜園ブログさんのいつもの畑情報とは
異なる記事を新鮮な感じで拝読しました。

秋は畑を少しあるがままに任せ、美術館や
博物館巡りもいいかもしれませんね。私も
京都御所で雅の世界に思いを馳せてきましたが
日本の18世紀にお姫様がまとった御着物にも
うっとりしますね。

M. Sasagawa さんのコメント...
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M. Sasagawa さんのコメント...

hisa様:
 上野の杜のイチョウも色づきかけています。
 秋は、美術展や発表会など収穫の秋でいいですね。
  来週は、昔のクラス会が二つもあり、琵琶湖と八瀬に参ります。久し振りに会う仲間と、ハラの底から蛮声を張り上げて「周航歌」など唱ってきます。

temari さんのコメント...

種姫着用の着物をクリックで拡大して見て
とても目の保養になりしたm(__)m
上野の杜をとても懐かしく思っています♪

M. Sasagawa さんのコメント...

temari様:
 あの頃は、着物もそうですが、家具・備品等も地味な感じを受けました。 金色の使い方も、伏見桃山の時代のキンピカでは無く、落ち着いた使い方ですね。 公家のセンスが入っているのでしょうか。
 上野の杜は、桜の頃と違って大きな木々がどっしりしていて、いいものです。

せんめい さんのコメント...

江戸時代というのは学校の教科書的な知識だと飢饉や年貢の取り立て武士の横暴とあまり良いイメージはおきないのですが、実際にはかなり豊かな社会だったのだろうなとこのごろ思います。300年間大きな戦争のなかった社会はほとんど過去にありませんから、それだけでも評価に値しますね。また300年も平和が続いたとなると腐ってくるのもやむを得ないし、それが悪いのかという疑問もおきます。武士の規律のおかげで腐敗のスピードもそうとう緩やかだったのだろうと想像します。
江戸はその痕跡が多く残っていて調べていたら楽しいでしょうね。

M. Sasagawa さんのコメント...

せんめい様:
 私も最近そう思う様になってきました。
 現在の「何でも有りの」風潮を見ていますと、士農工商の一番上が、ノブレスオブリィージュを堅持していたので、活力を削がないで規律を維持出来たのでしょうね。
 幕府と武士の凋落として、江戸時代を見るのでは無く、大衆の視点に立って見ると、面白いと思います。

モンカー さんのコメント...

うちも今度の日曜日に伊豆に行く前に行ってこようと思っています。400年前のことだからいろんなものが残っているのでしょうね。楽しみです。

M. Sasagawa さんのコメント...

モンカー様:
 展示会場は、左右の2つに分かれています。左から入るのが順序の様ですが、右の方が身の回り品などがあって面白そうなので、そちらから先に廻りました。その方が良かったと思っています。 ご参考まで。