金曜日, 1月 08, 2010

久我山稲荷神社

 農園への途中に「久我山稲荷神社」があります。
 この神社は 古くから此処にある 久我山の氏神様です。
 この辺りの地形は 久我山の地名が示す通り 小高い陸(くが)がつながっています。   
 神田川は この陸の間を 長年にわたって削りながら流れているので 川の両岸は かなり急な坂になっています。
 左の稲荷神社正面写真でご覧の通り 急な石段を30段以上も登った所に社殿が建っています。
  そして この撮影場所の後ろを神田川が流れています。
  また 前の道は かっての鎌倉街道の一つです。 この先 左折して神田川に架かっている「宮下橋」を渡り 対岸の急な坂を登って 府中へ抜ける古い道です。

 この神社には いろいろな言い伝えがあります。
 その中で 今年の大河ドラマ「龍馬伝」に因んで 幕末の剣士「近藤 勇」に関する話をご紹介します。
 近藤 勇の出庄は 前の道を通って 現在の三鷹市と調布市の境 当時の 武州多摩郡上石原村です。 そこで 彼は15歳の時に 既に剣の素質の素晴らしさに目を付けられていたと言はれています。

 新撰組 頭としての彼の働きについては論を俟ちません。
 その彼が 板橋において 政府軍の手によって囚われの身となりました。 近藤 勇の取扱いについて 坂本竜馬 暗殺の犯人は新撰組であると信じる土佐藩は処刑を主張し これに対して 薩摩藩は 京都で正式な裁判を受けさせるべきであるとして 両藩の対立があったと言われています。
 結局 慶応4年4月25日に板橋で斬首されます 近藤 勇 享年35 でした。
 その1ヶ月前 3月14日には 既に西郷隆盛と勝海舟による江戸城無血開城の合意がなされて事実上停戦が成立していました。 また勝海舟の耳には 事前に 幕臣 近藤 勇 囚わる の報が届けられていたとも言われています。 当時の世の中の 混乱・無秩序ぶりが伺えます。

 さて その斬首の現場を 身内3名が はからずも目撃していました。
 彼等は 実父や門人に相談をして 埋葬されていた遺体を 夜陰に乗じて密かに掘り起こして 近藤家の墓がある 三鷹の龍源寺に埋葬することにしました。
 処刑の翌々日 27日の夜 門人合わせて7人の男が 板橋に出かけ 刑場の番人に包金を握らせ 首の無い遺体を大八車に乗せて 板橋から休憩もとらず 足を速めて運び この前の道を右手方向から久我山稲荷神社下まで来ました。
 幸い 追っ手の姿も見えず 東の空も白み 隣村まで来たという安心感から ここで休憩を取り 馬には 神田川の水飲み場で水を飲ませました。 
 三鷹に近い香りの水を飲んで つかの間のホッとした休憩をとった人馬は 宮下橋を渡って その道を三鷹に急いだ という話です。
  
  

8 件のコメント:

waka3 さんのコメント...

どうも歴史には疎い私ですが、中々おもしろいお話しを受けたまわりました。
同じ時代に生きた近藤勇と坂本竜馬が竜馬伝でどんな絡み合いで登場するのかも興味あるところです。

M. Sasagawa さんのコメント...

waka3さん:
 テレビでは勇や竜馬をどのように描くのでしょうか? 興味がありますね。

 彼等は、この時代 無法の世の中を、自分の腕一本で、年齢三十代前半の盛りを懸命に生きたのですから。

 勇の墓に刻まれた辞世の句の後半に「義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所 快く受けん電光三尺の剣 只まさに一死をもって君恩に報いん」とあります。
 「君」の対象は違うかも知れませんが、昭和の近代国家になっても、若き特攻隊の遺書に 同じ様な言葉が有りました、複雑な思いがします。
 

TP さんのコメント...

新年明けましておめでとうございます。

雑務に追われていたのと、ネット環境の不具合で当方のブログは更新していませんでしたが。

久し振りに拝見しましたら、以前の記事、聖護院大根をつくられていたんですね。
詳しくはありませんが、京野菜は手間隙が大変なのでしょうね。

私は以前は新宿区に住んでいましたので、都心も都心で便利、あまり離れずに済んでしまうので、山手線の外側はあまり散策しなかったことがいまになって悔やまれます。

都内でも、こういう場所は風情がありますね。

今年もよろしくお願いいたします。

M. Sasagawa さんのコメント...

TPさん あけましておめでとう御座います。 こちらこそ 今年も宜しくお願い致します。

 京野菜は この聖護院大根と九条ネギぐらいです。以前は水菜や壬生菜等も作っていましたが、次第に品種改良と言う名目で、本来の京野菜は種も買いにくくなっていますね。

 新宿から西でも、井の頭線が昭和の初めに開通し、そのころ東郷青児や伊藤整など文人が好んで住む地域として、久我山の辺は比較的古い物が そのままで残っている地域です。
 また江戸以前からの農家がまだ農業を営んでおられて、畑があちこちにあります。 その長く住んでおられる方々が中核になって、地域のコミュニティーがしっかりしています。
 我々の農園も、そのおかげです。 

kimama さんのコメント...

世の中が混乱している状況は、今日に比べるまでもなく明治維新は凄かったでしょうね。あまりの変わりように・・・
竜馬は好きな方です(笑)近藤勇も夫々の立場に立つと魅力たっぷりなのでしょう。最近は若い女性も歴史に興味を持つ方が多くて歴女とか呼ばれるそうですね。各地域に、たくさんの歴史が詰まっていることに気づかされました。

M. Sasagawa さんのコメント...

kimamaさん、コメント有り難う御座います。
 農村でも世直し一揆や打ち壊しが頻発して混乱はあり、思想的にも変わってきていましたが、これは従来の権力構造で押さえつけられ、また倒幕側の動きもこれを利用しようとしなかったので、諸外国の様な革命にはならず、武士階級の中だけが無法状態の混乱の世の中であったようですね。

 近藤勇は 剣だけが 幕藩体制の世の中での存在意義でしたので、彼の人物像としては やむをえないところがありますね。
 しかし 若い彼等は いずれも一生懸命に生きていました。

 我々の身近にある歴史から、教訓を学べればいいですね。 

モンカー さんのコメント...

遅れましたが明けましておめでとうございます。12月初めに指にばい菌が入り、畑も出来ず不自由しています。歳をとると直りが遅いですが今月末には始動しましょう。今年もよろしくお願いいたします。

M. Sasagawa さんのコメント...

モンカーさん、有り難う御座います。こちらこそ宜しくお願い致します。

 指を傷されたとのこと、さぞかし ご不自由なことでしょう。
 年齢には関係ありませんから、焦らないで しっかりと治されますように。
 この時期 畑は 急いですることがありません。