月曜日, 5月 30, 2011

その後の トマト・胡瓜・ナス

 先週末は 走り梅雨の前線が 本州南方に停滞してぐずついた天気でした。 そこに時期外れの台風がやって来て にわか雨と突風の荒れた天気になってしまいました。
 幸い 夏野菜のトマト・胡瓜・ナスは その前に 支柱立てを終えていましたので助かりました。

 ご覧のトマトは 1畝に6本植えています 手前の2本は極早生のスタピストマトで4月7日に定植 ミニトマトのフルティカ1本をはさんで 奥3本は 普通トマトのファイトで4月10日に定植しました。
 写真は少し望遠気味に撮っているので 混み合って見えますが 各々の株間は60センチ以上に空けてあります。 
 今年も2本仕立てにしました。 2本目の枝は どの脇芽を伸ばしたら最も早く花芽が出るか?比較しました やはり昨年同様 1段花房下の脇芽を伸ばしました。
 現在 主枝の6or7段が開花中で 3回目の追肥を遣りました。
 極早生のスタピストマトは1段の実を既に収穫中です 皮は厚めながら甘みがあり 美味しく戴いています。
 2段目の実も 赤く色付いているのが写真を大きくするとご覧いただけます。

 胡瓜は 長年作り慣れている 夏すずみ の接木苗です。
 農園の仲間数人で30本の苗をタキイから取り寄せました。
 巾約1メートル 長さ2メートル の畝に 4月26日に2本定植しました。
 その後 マルチの中に手を入れてみて 土が熱く乾燥している時には マルチの下に液肥を15リッターほど散布しています。
 例年通り 株元から出る脇枝の中で 勢いのいい枝を2本伸ばして 3本仕立てにしています。 写真にも 3本の枝が 別々の方向に誘引されているのがご覧いただけます。
 また 各枝とも 株元から5〜6節迄に着く 花芽と脇芽は全て摘み取っています。 黄色い花が見えるのは 主枝の7節目以降に咲いた花です。
 後 1週間ほどで 初物の胡瓜が収穫出来ます。

 ナスを順調に育てるには ここのような共同農園では 連作障害による半身イチョウ病対策が不可欠です。 そのために トルバムの台木に接木した苗を作っている 練馬の農家から苗を分けてもらっています。
 4月に入手した苗は 15号の大きなポットに一度植え替え 花が咲き出し 株がしっかりするのを待って 5月5日ここに定植しました。 
 株の小さい中は まず株の生長を優先し 1段目の実は 生り癖がついたことを確かめたら 幼果のうちに切り取っています。
 その後 気温も上昇し 樹形もナスらしくなり 現在は3本仕の枝々に花が咲いています。
 この後 第1回の追肥を遣り 株の背丈が伸び 実が重くなると 現在の仮支柱から 本格的な支柱にします。
 これら夏野菜には 夏の間 4〜5日間隔で 雨の降らない夕方にストウチュウの葉面散布を続け 広く茂った葉からも栄養補給をします。 
 なお ストウチュウについてはここをクリックすると 詳細がご覧いただけます。

水曜日, 5月 25, 2011

着々と進む園芸授業

 学校の園芸も順調です。
 昨年は4月の異常寒気で 学校のトマトはダメージを受けたので 今年は定植時期を遅らせて ゴールデンウイーク明けに植えました。
 ご覧の大型プランター12個に ミニトマト「アイコ」の苗を3本づつ 合計36本 植えてあります。
 中学2年生と3年生が プランター単位でグループを組んで作業をし それぞれのグループ名を書いた名札を立て その後 毎日 観察と水遣りなどの世話をしています。
 今年は 気象もまともで 今のところ 順調に生育しています。
 一回目の追肥も終えました。
 ビル風が強いので しっかりした支柱建てをします。 
 間もなく 可愛い形の 赤と黄色のミニトマトが収穫できます。
 収穫したトマトは学校の給食に付けられて 皆で戴きます。

 中学1年生は 夏の間 学校の花壇や芝生のグランドの周りに植える花の苗作りをしています。 
 種が大きくて 比較的発芽率の高い「マリーゴールド」 と「ジニア」の種を 250個ほどのポットに蒔いて 育てています。
 右の写真は 種を蒔いた人の名札を差したポットに 水遣りをしているところです。
 6月の上旬には この「マリーゴールド」 「ジニア」の他の花も 苗で購入して 全てを高校生が 構内の花壇に植えます。
 こうして 生徒達の手で育てられ 植えられた花々は 秋の学園祭の前までは 学校のあちこちを彩ります。

 一方 昨年からオープンした 相模原にある「新渡戸農園」も 春先から着々と進められてきました。
 左の写真は 先週末に小学校の父兄を交えた皆さんの手で 300本以上のサツマイモの苗が植えられた サツマイモ畑です。
 10月になると サツマイモは太り 芋掘会が開かれます。
 その日は一日中 小学生の楽しそうな声が 農園中に響きます。
 上の写真にも見えますが 左隣にはジャガイモが 通路を隔てた迎えの区画には芽の出始めたサトイモと 一畝のナスが 又 その端に 白いトンネルの掛かっている畝はカボチャ 等々が植えられています。
 以上 今回のサツマイモ畑をもって 約170㎡の相模原の農園は満杯になりました。
 間もなく ナス・カボチャ・ジャガイモの順に収穫が始まります。

土曜日, 5月 14, 2011

トマトが色づく・青山 根津美術館

 3月26日に開花した 早生中玉トマトの実が 1ヶ月半で 早くも赤く色づき始めました。
 写真はプランターに植えた中玉トマトですが 農園に植えたものも同様に赤くなっています。
 この早生中玉トマトは 種蒔き後 苗の生長も 1番花の開花も また 実の色づきも 全ての点で 極早生です。 この調子ですと トマトは開花後2ヶ月で収穫 と言う常識を覆すことになりそうです。
 前回 写真をアップした ポット苗のナスも 1番花にホルモン処理をして 定植しましたところ この1番花の実も 親指ほどになってきました。
 また 胡瓜は盛んにヒゲ蔓を伸ばしてきましたので ぼつぼつ脇芽に花が咲きだすでしょう。
 以上 夏野菜のシンボルである トマト・ナス・胡瓜は いずれもスタート台についた感じになりました。
 教科書でも馴染み深い 尾形光琳 の「燕子花図屏風」は 昭和5年に国宝保存法が成立した年に 国宝に指定され 翌昭和6年5月14日には 初代根津嘉一郎は 茶の湯仲間を招いて 母屋の大広間二間を開け放した座敷に「燕子花図屏風」一双をならべて案内しました。 招かれた一同からは感嘆の声があがった と記されています。
 毎年 根津美術館では この時期に「燕子花図屏風」が 展示 公開されます。




 始めの写真は 1双の屏風のうちの右隻です。

 次の写真は 左隻の屏風です。
 右左隻を並べて見ますと 花の群青色や 葉の緑青色の濃淡など 違いが見て取れ 興味があります。 今まで気が付かなかったことを発見しました。

 根津美術館のもう一つの魅力は 広大な日本庭園だと言われています。
 武蔵野台地が渋谷の谷に落ち込む地形に位置し 崖線からは 今でも湧き水が出て  池が保たれ 樹々が育まれています。
 この季節 流れの中に 燕子花が見頃でした。
 picasa アルバムにその他の写真を掲載しています クリックしてご覧下さい。

土曜日, 4月 30, 2011

生長が急になりました

 4月は 桜が咲き ピカピカの入学生の声が響き ターミナル駅にはフレッシュマンの背広姿が溢れる おめでたい季節ですが 気象的には 冬の気圧配置から 夏の配置に移る転換期にあたるために 大雪が降ったり 真冬並みの北風が吹いたかと思えば 一転 台風なみの南風が吹き荒れて 数日間 気温の高い日が続いたりします。 江戸時代の「三大火事」もこの時期に起こっています。

 変化の急なこの時期ですが 菜園とのお付合いは 冬野菜のユッタリムードに慣れてきましたので つい後手々々になりがちです。
 先日 近くの農家から分けていただいた ナスの接ぎ木苗は ポットの中で 2本とも 立派な一番花が咲いてしまいました。
 しかし まだ 定植する甫場が出来ていません。
 根の深いナス科野菜を植える畑は 年一度 定植前のこの時期に 土を深耕して 堆肥をタップリ混ぜる重労働をくわえてきましたが 腰痛持ちには この重労働を連日こなすのが だんだん辛くなり 気持は焦りますが なかなか思うようには捗りません。
 取り敢えず ナスには 手持ち最大のポットの中で しばし 待ってもらいます。

 我が家で 比較的陽当たりの良い 駐車場に 花や野菜のプランターを並べています。
 プランターに植えた中玉トマトは その後 順調に生育しています。
 1段の実は ゴルフボールほどに大きくなり 3段目の花が咲き始めました。
 既に 1回目の追肥は終えています。
 また 手前に写っているのは ワサビナ・赤カラシナ・リーフレタスです。
 少量ずつですが 必要な時に 摘み取って 無農薬の新鮮な葉を 安心して 生で食べられるのもプランター菜園の魅力です。

 前回に写真を掲載しました ホーレンソウやベビーリーフも二十日ほどの間に 急に大きくなりました。
 このホウレンソウは 種を蒔いたまま 今まで 何ら手入れをしていません。
 ご覧の通り 葉が重なり合ってきましたので この時期に 株間を 4~5㎝ほどに間引き 植え筋に沿って中耕をし ボカシ肥と888化成肥料の追肥をして 軽く土寄せをします。
 これから ホウレンソウの生長がいちだんと早くなり 連休が明ける頃には 久し振りで新鮮なホウレンソウが収穫出来るでしょう。

 ベビーリーフ ミックスの種は レタス・チコリ・アブラナ などいろいろな形や大きさの種が混じっています そのために 蒔き辛く 同じ種類のものが集まって生えるのではないかと案じていました。 今 こうして写真を見ますと 葉の色・形は様々で ミックスの名前通りに見えます。
 ベビーリーフは 間引き穫りしながら 新鮮な葉をカルパッチョ的に戴いています。 色や香りや味わいがそれぞれで 楽しい食材です。
 株間が10㎝ほどに間引かれた後は 葉を摘み取って 株は残しながら 暫く収穫をしていきます。

日曜日, 4月 10, 2011

トマトの定植・春蒔き種の発芽

農園への途中にある神田川は かっては 武蔵野台地からの湧き水が滔々と流れていました。
 江戸 百万人の飲み水をまかなっていた頃は この水源地の井の頭池だけでも 一日3万トンの湧き水があったと言われています。 しかし 時代とともに武蔵野台地が住宅化して 昭和30年代以降は湧水が枯渇しました。 現在はポンプによる汲み上げ水をチョロチョロと流しているにすぎません。 「川」とは言え 幅が10m弱のコンクリート製U字溝の底を 一筋の水が流れているだけです。
 桜の季節には 神田川の流れに沿った遊歩道は 目の高さに咲く満開の桜を楽しむ 普段着姿の花見客で溢れんばかりになります。
 いつもは自転車でスイスイと走れるこの道も 今日は トマトの苗を積んだ自転車を降りて 押して通らざるをえませんでした。

 早生のトマトは ポットの中で 一番果がパチンコ玉よりも大きくなってきて 早く定植をせねばと 焦っていました。
 3日前に 冬並の寒気団が抜けるのを待って 3重の保温トンネルを掛けて 寒さ対策に万全を期して やっと植終えました。
 そのトマトもどうやら 無事に根付いたらしく 実も順調に肥大し 今日の陽気で2段花房も開花しはじめました。(画面をクリックすると 大きく見えます)
 早生トマトは本葉の6枚目に 1段花房が付きましたが 普通トマトの「桃太郎ファイト」は本葉7枚目に1段花房が付き その一番花が開花しましたので こちらも定植をしました。
 これで 2月の初旬から始めたトマトの苗作りは終了し トマトの舞台は農園に移りました。

トマトの隣の畝には 農園がオープンした3月の下旬以降 順々に種を蒔いてきた のが 芽を出し始めました。
 種蒔き後は 寒さ対策として ベタ掛け不織布を地面にかけ 更に タフベルと穴空きフィルムの2重トンネルを施しておいたものです。
 写真の奥から 5寸ニンジンの「向陽2号」を3筋。
 その次の区画は ネギ苗床として 3種類のネギ「九条太ネギ」・「浅黄系九条ネギ」・西洋ネギ「ポアロ」を5筋に。
 3番目の区画は流行りのベビーリーフ向きのリーフレタスミックスを7筋に。
 一番手前の区画は 春蒔き用ホウレンソウ「マゼラン」を4筋 蒔いてあります。
 いずれも 発芽後の間引きを省略する為に 種蒔きの時に 種の間隔を開いて蒔いてありますので 写真を見ると まばらで もの淋しい感じがします。
 これから 陽が高くなり 気温が上がってくると 生長が急になり 手がかかるようになります。

水曜日, 3月 30, 2011

長かった3月

 この1ヶ月間は 工事のために農園への立ち入りが禁止され 畑仕事も休んでいました。
 その間に 東北関東の大地震があり くわえて 福島原発の放射能汚染の事態が持ち上がり 多くの方々が被害を受けられました。
 一日も早く 皆様方の心身が癒されますように こころからお祈り申し上げます。

 さて 桜前線が動き 4月の声が聞こえると 菜園の作業も始まります。
 2月にポット蒔きしたトマトの苗は背丈が伸びて 早生トマトは1段花房が開花しました。
 昨年の異常気象による 4月の低温に学び 今年のトマトは スタートを遅らせたのですが この早生種は 予定以上のスピードで生育して 早くも開花しました。
 この早生種はwaka3さん から種を頂戴し 始めて 栽培する中玉トマトです。 
 葉の形が ジャガイモの葉に似ていて その本葉が出始めた頃から 他の常連トマトに比べて抜きん出た生育ぶりでした。

 また 一週間ほど前に 発芽器「愛菜花」に種を蒔いた 「福耳」「伏見甘長シシトウ」「タカの爪トウガラシ」のシシトウ類 3種類も緑の可愛い芽が出ました。
 本葉が3~4枚になったら 10㎝ポットに鉢上げして育苗します。
 全部で20株ほど苗を作っていますが 半分以上の苗は 既に嫁ぎ先が決まっています。
 定植は ゴールデンウイーク明けに ナスなどと一緒に定植する予定にしています。
 いよいよ 菜園も忙しくなってきます。
 先ずは 腰痛持ちにはつらい 土起こしから始まります。 

 彫刻家 佐藤忠良さんは 50年以上もの間 永福町の神田川 近くに 天井の高いアトリエを構えて創作を続けてこられました。
 区内には 既に 杉並区庁舎の玄関に「ジーンズ」を また 区の中央図書館1階には「フードの竜」(竜は女性のお孫さんの名前)の2作品を展示されていました。
 この度 井の頭線 永福町駅の駅舎が改築された機会に その新しい改札口の脇に 新たにこの像が展示されました。 あたかも 人を出迎えるかの様に立っているので 改札を出る人は ハッと その像に気付いて 家路を急ぎます。

 また この機会に 永福町の区民センターで「佐藤忠良パネル展」が開かれました。
 多くの作品写真に並んで 真面目で人間味あふれたお人柄が偲ばれる文章の抜粋が展示されていました。
" 学生から「彫刻を作るコツはなんですか?」と聞かれると 「何時も コツコツだよ」と答えています "と。 そうして天井の高いアトリエで 毎日、朝8時頃から夜8時頃まで粘土と格闘してこられたそうです。
 また 3年間の厳しいシベリアでの抑留生活を振り返って " シベリアで、いろいろな日本人に会ってきて「隣びと」にたいする関心の持ち方が、きっとかわってきたと思うのですよ。これから、生きていたらつきあいたい、と思える男は、どんな人間なのかがわかってきたのだと思います。つまり、その人間の、顔つきだとか、地位や学問とかが問題になるのではなくて、人間の中味が大きな意味を持つようになったのだと思います。 知識と人格がバラバラになっていくのを見る一方で、いわゆる庶民といわれる人のなかに、すぐれた人格を見ることが、たびたびありました。生きて帰ってきたとき、それをそのまま、無意識のうちに作品にしたのだと思います。"

 今朝 98歳でお亡くなりになられた との報を 今 知りました。 
 ご冥福をお祈り申し上げます。 

日曜日, 3月 06, 2011

冬野菜の収穫・薬師寺東京別院

 3月に入ると温かい日差しが嬉しく感じられます。
 種蒔き後 二十日以上 過ぎたトマトの苗も 本葉が5枚になり 12㎝の大型ポットに移しました。

 温かい休日に 相模原にある学校の農園で 小学校1年生の希望者8家族と一緒に 最後の冬野菜を収穫しました。
 先週は 小学校2年生の11家族が参加して ブロッコリーとホウレンソウの半分を収穫しましたので 今回は 残り半分のホウレンソウと 最後に残った一畝のキャベツの収穫です。
 防寒・防風のトンネルも掛けないで 真冬の露地で育ったホウレンソウは 地面にピッタリと貼り付いて 葉を掴んで引き抜くと 折角の葉が全部ちぎれてしまいます。
 そこで 参加者全員には 工作用のハサミを持って来てもらい 土の中にハサミを差し込み 先ず根の先を切ってから 赤い根元の付いたホウレンソウを 1株ずつ収穫するように指導しました。
 先週の 2年生の時は この指導方針は成功でしたが 1年生では 指の力と ハサミを使うスキルに差があって 土の中で根を切ることに苦労しました。
 1年生から2年生になる1年間に 子供達が成長する早さの具体例を 教えられる結果になりました。
 さて 収穫した ホウレンソウとキャベツは 駕篭に入れて水場に運び 水洗いして芝生に広げて乾かしました。
 乾いたホウレンソウは 小分けにして袋に入れ 半分は 参加者全員が分けて持ち帰り 残りは 学校給食用として学校に届けました。
 どこの家族も 夕餉の食卓は 一日の楽しかった話題と 正真正銘 無農薬有機栽培の新鮮な野菜の味で もりあがったことでしょう。

 友達から情報を得て 五反田にある 薬師寺東京別院で開催されている「薬師寺の文化財保護展」を拝観し 法話と抹茶のサービスを受けてきました。
 東京別院は 山手線五反田駅の東口を出て 徒歩で数分 今時 珍しい石畳の坂道を辿り 池田山の高台の 静かな所に在ります。
 パンフレットによりますと "別院は、檀家や組織を持たない 奈良薬師寺の別院で、450年前に焼失した堂塔の再建を願い、お経による白鳳伽藍復興の関東以北の拠点として、昭和50年より本格的に始動しました。 " とあります。
 今回の展示品は 東京別院の本尊である薬師如来像を含め 仏像が5展。 奈良時代の大般若波羅蜜多経を含め 経典が4展。 及び 薬師寺と縁の深い 平山郁夫さんが奉納された散華原画7展が展示されていました。
 薬師寺は1989年から 保管している仏像などの修復と調査に取り組み その一環として修復された仏像の一つ 鎌倉時代の十一面千手観音菩薩像が 全国初公開で展示されていました。
 この像は「薬師寺破損仏」の一つとして唐櫃に整理されていた仏像断片の中から 関連する部材を選り分け 復原修理をした 三尺余りの木造仏です。
 復原修理ですから 例えば 顔の補作に際しては 鎌倉前期の快慶が作った仏像・鎌倉中期の興福寺食堂の千手観音像・京都三十三間堂の千手観音座像などの顔が参考にされた と解説されています。 また 脇手四十二臂のほかに 千手をイメージ化した板材を取付けたことなども記されています。
 馴染み深い 奈良時代の千手観音像とは ちょっと違った印象を受ける像でした。