木曜日, 12月 22, 2011

里芋とカリフラワー

 朝の冷え込みが厳しくなり 早朝の農園には霜がびっしり降りています。
 この頃の関東平野では 抜けるような青空の日が続きます。天気図を見ると縦縞の等圧線が並び 北関東の山脈を超える際に水分を全て落とした 北西の空っ風が吹き荒れます。
 街中を歩いていますと 寒椿の生け垣の上から 黄色のカリンと 柿の実が 青空を背景に映えて見えました。 
 がつがつしている 都会のカラスやヒヨドリさえ 見向きもしないところをみると この柿は渋柿かも知れません。

 さて 寒さにかこつけて 農園が遠くなり 収穫を一日延ばしにしていた里芋も 地上部が 枯れて もう何日も経ってしまいました。
 この里芋は 学校の農園に例年植えている「大野イモ」です。植え残った種芋2個を 畑の片隅に埋めておきました。
 種芋の中の一個は 大きくて 形もいびつでした。 この種芋からは 3本の芽が出たので 3本仕立で育てることにしました。
 今回 掘りあげてみたら 3個の大きな芋(子芋と言うべきでしょうか?)があり その周りに それぞれ10個ほどの芋(孫芋?)が付いていました。 一個の種芋から 30個以上穫れたことになります。
 もう一個の種芋は 1/3ほど鍬で切り取られた種芋でしたので まともに育つのか? 気になっていました。
 芽の出る時期も遅く 葉の大きさや数も見劣りしていました。
 それでも 掘り上げてみますと 5〜6個の子芋が付いていました。
 この「大野イモ」は 親芋も食べられますし 食感も良好 美味しい芋です。
 写真でご覧の通りの外観で 目方は5kgありました。

 カリフラワーは 白色を際立たせるために ある程度の大きさになると 外葉を縛って花蕾を隠します。
 そのために 見難いと言うこともありますが このカリフラワーは穫り遅れて ご覧のような巨大カリフラワーになってしまいました。 
 帰って 目方を計ってみましたら 何と 1.8kg もありました。
 しかし 小房に分けて 塩茹でして ニンニク オリーブオイル和えにすると 柔らかく 美味しく 戴けました。 (毎食 食卓に 顔見せすることになりましたが)

 少し 遅れて植えた「オレンジブーケ」の方も 収穫適期になってきました。
 こちらは オレンジ色を強調するために 外葉で隠すこともありません。
 こんどは 穫り遅れのないように 農園に足を運ばねば と思っています。
 その他 大根やカブや白菜 ホーレンソウや小松菜等々 葉物野菜類もあります。
 せっせと収穫に来ないと と反省している次第です。

土曜日, 12月 03, 2011

プランターイチゴ・室生寺と長谷寺

クリスマス ケーキの真っ赤なイチゴが店先に目立つシーズンです。
 さて 同じイチゴでも シーズン離れしたイチゴの話です。 
 昨年の秋に 隣のイチゴ畑から 1本の元気なランナーが伸びて来ました。
 隣のイチゴ畑が片付けられた後 そのランナーは切り離されて 親なし子になりました。
 不憫に思って その子株をポットに移植し 寒風を避ける場所に置きました。
 3月に コンテナーに植え替えると 5月には花が咲きだしました。
 始めの写真は5月末に写したものです。
 このイチゴの 実は小粒ですが 甘みがあって美味しいので 来春は もっと株数を増やして プランター栽培に挑戦してみる気になりました。

 そこで イチゴの入ったコンテナーの両脇に ランナーを伸ばす場所として大型のプランターに土を詰めて並べ ランナーの伸びるままに放任しておきました。
 2枚目の写真は 夏場に 多くのランナーが 次々に伸びている様子です。 
 8月に入ると ランナーから子株を切り離して ポットに移して 育苗しました。
 ガイドブックによると 親株から出たランナーの2番目以降の子株を育苗するように書いてあります。 子株の中でも 大きく葉が茂った子株と あまり葉の茂っていない株があります。 それぞれの子株がどのように生育していくのかを見たいと思って いろんな子株をポット分けしました。 

 11月に ポットの苗もしっかりしてきたので 株を選び 5個のプランターに2株づつ 1個のプランターには プランター当りの適数をためすために 1株だけ植え 合計11株の苗を植え付けました。
 用土は夏場 トマトを植えてあった土に 石灰とボカシ肥と腐葉土を加えて作りました。 
 3枚目の写真は6個のプランターに定植されたイチゴの写真です。

 4枚目の写真は 定植後の真っ赤なクラウンの写真です。
 あまり深植えにならないように クラウンが土に埋まらない程度に植えました。
 株が大きい割りに クラウンの小さいのもあり その逆もあります。
 イチゴの栽培は全くの素人です 今後これらの株達がどの様に育ち 春には どれ程の実が着くのか 1株毎に背番号でも付けて 見まもっていきたいと 楽しみにしています。

 この秋は 上野の博物館で「空海と密教美術展」と 引き続いて「法然と親鸞 ゆかりの名宝展」を見てきましたので 恒例の奈良見物の行き先は 室生寺と長谷寺に決めていました。
 始めの写真は 室生寺の五重塔です。
 密教寺院らしく 鬱蒼とした木立の中に こじんまりと建っている五重塔です。
 室生寺へは 学生時代に 今は亡き友達と二人で来ました。 この石段の下に立っと 半世紀の時を超えて その時の情景がリアルに浮かび しばし感慨に耽りました。

近鉄の長谷寺駅を降り 急な坂道を下って 初瀬川を渡ると 大和と伊勢を結ぶ古い初瀬街道に出ます。 昔の面影を残す街道の街並は風情があります。
 歩くこと約30分で 長谷寺の仁王門に着きます。
 そこから この399段の登廊を上ると 初瀬山の中腹に建つ 真言宗豊山派の総本山 長谷寺の本堂があります。
 写真に見えます 長谷型の灯籠は 2間おきに吊るされていて 昔ながらの風雅な趣を伝えています。(写真をクリックしてご覧下さい)
 また その日は 運良く 長谷寺に連綿と伝えられてきた 銅板法華説相図(国宝)他 数々の宝物を見ることができました。
  なお ここをクリックするとアルバムがご覧いただけます。

日曜日, 11月 13, 2011

秋野菜の収穫期になる

11月初旬には 区役所の玄関前広場や一階のロビーで 農業祭が開催され 地産野菜の品評会や 展示即売会などが開かれます。
 農業祭の催事の一つに 区民が 区内で撮った農園写真を募集した「フォトコンテスト」が開かれます。 一人2枚の応募作品の中から 入選作品を5枚 更にその中から1枚 会長賞が選ばれます その他佳作10枚を合わせた それらの写真は 農業祭が終った後も10日間ほど玄関ロビーに展示され 区役所に来られた人々が 何時でも見られるようになっています。
 上の写真は 左に掛かっている会長賞作品 以下4枚の入選作品を展示したパネルです。
 会長賞に選ばれたのは 私と同じ農園の方で よろこびもひとしおでした。 私の作品は 手前から2枚目の写真です ブログにも掲載しています学校の芋掘会で撮った中の一枚です。

 農園の秋野菜も収穫期を迎えました。
 右の写真は 4メートル 一畝に植えた 九条太ネギです。
 昼間と朝晩の温度差が大きくなり 食卓では 鍋物の回数が増える季節になると ネギも甘みを増し 葉も柔らかくなって ネギのシーズンです。
 この同じ畝には このところ 恒例になっている西洋ネギも植えてあります。
 10月下旬に 最後の追肥・土寄せを終えると 西洋ネギは急速に茎が太くなり どっしりした姿になります。 普通ネギほど 茎の白い部分は伸びませんが 巻がしっかりして 旨味が蓄えられているように思われます。

 早生のカリフラワーは 4~5日見ない間に真白な花蕾が現れてきました。
 チョウチョの動きが鈍くなる ぎりぎりまで 防虫網トンネルの中に 閉じ込めていましたが  トンネルを外すと 急速に葉を広げ 中央の花蕾も急生長しました。
 このカリフラワーは 花蕾を直径20㎝以上大きくしても 柔らかいので もう数日後に初取りの予定です。

 茎ブロッコリーは 頂花蕾が500円玉ほどの時期に摘み取ると ご覧の通り 側枝花蕾が急速に伸びます。
 茎の長さが15〜20㎝ ほどになると 側枝のもとから切り取ります。
 茎も花蕾も柔らかく 戴けます。
 これから 2〜3月まで収穫が出来ますので 最近は 普通のブロッコリーの数を減らして 茎ブロッコリー主体にしています。

木曜日, 10月 13, 2011

葉物野菜の種蒔き

 秋の葉物野菜は 空いた場所を見つけては 少しずつ いろんな種類の種を蒔きました。

 前回の カブ続いて ブロッコリーの畝の端に 3種類の種を蒔きました。
 一番手前の2筋は サラダ用のベビーリーフです。
 蒔いた種はを見ると アブラナ系の種が大半を占め レタス系 他の種が混じっていましたが 発芽は アブラナ系が早く この角度からの写真では レタス系はアブラナの大きな葉の陰で見ることができません。
 次の ギザギザ葉の2筋は 今世界的に流行のサラダ用早生ミズナです。
 奥の 2筋は この冬 家の プランターに種をまき 梅雨の頃まで 葉を摘み取って戴いていた ワサビナです。 若いうちは 葉も柔らかいので サラダ用に混ぜて食べようと思っています。 葉丈が20cmほどに大きくなると ワサビに似た香りがして あさ漬にすると美味しいです。 そのために 本葉が 2~3の頃に間引く株を 別の場所に植え広げて 冬中 昨年までのキザミナ カラシナに代えて このワサビナをあさ漬用にしようと考えています。

 次の写真は 白菜畝の 南端の空き地に種を蒔いた ルッコラと大葉春菊です。(前の写真の2日後に蒔きました)
 この手前の1筋が ルッコラです。
 種は ミラノに行った時に 市内の種専門店で買い トランクの底に忍ばせて帰ったもので 秋蒔きのルッコラは この種を蒔いています。 もう一つ 春に蒔くルッコラは アラブ土産で頂いた種を蒔きます。
 奥の3筋の大葉春菊は 種袋を見ると 「'03年6月」 とあります。 ここ数年 この種を蒔いていないので 一昼夜水に浸けてから 生きていそうな種を蒔きましたが やはりルッコラに比べると発芽率は悪いようです。
 この春菊は 葉を摘み取るタイプですし 霜に弱いので この時期の種蒔きでは遅過ぎたかもしれません。

 3枚目の写真は 台風で倒れたシシトウの跡に種を蒔いたグループです。
 約4メートルの長さの畝を シシトウの古マルチを利用して 3つに区分けしました。
 始めの区画には ホウレンソウを4筋蒔きました。
 ホウレンソウは 本葉が3枚頃まで タチガレ病に罹りやすいので 発芽したら雨よけフイルムを掛けています。 それでも 端の方はタチガレが出やすいので 手前に1列だけサラダ用のベビーリーフを蒔いてあります。
 2番目の区画は 右側2筋にサラダ用早生ミズナを蒔き 左側3筋には赤葉のミズナを蒔きました。 赤葉のミズナはピリットした辛みがあり 右側の青色ミズナと合わせてサラダの彩りになると思っています。
 3番目の区画は 小松菜を5筋蒔きました。
 その奥 横2筋に 鮮黄色の種が珍しい 黄カラシナを蒔いています。 種の色を見るとピリッとした辛みが期待出来そうで 漬物・お浸しに と思っています。 黄カラシナも 間引き苗を 他の場所に 植え広げて株数を増やして 冬場に備えるつもりです。

火曜日, 10月 11, 2011

コガネムシの幼虫

 家庭菜園では 秋は 葉物野菜のシーズンです。
 先ず 育てやすい 種類が豊富 味がいい 収穫期には生長がゆっくりしているので好きな時に 必要な分だけ収穫すればいい などなど。
 例年9月の20日過ぎ 今年は強烈な台風が22日に来襲しましたので その台風一過後 葉物野菜の種を次々と蒔きました。
 9月24日に 大根畝の続きにカブを筋蒔きしました そして ヨトウムシが入り込まない様に 防虫網を厳重に張ったトンネルをかけました。
 カブの種は 2~3日で きれいに揃って発芽しました。 
 双葉の出た段階での 最初の間引きを省略するために 種蒔きは1.5~2.0cm 間隔に揃えて蒔いてありますので 本葉が2〜3枚になり 混み合った個所を間引く迄は タイトに張った防虫網を外すことはめったにありません 農園に来ると 防虫網越に状況を観察するだけでした。
 ところが 10月に入ったある朝 筋蒔きのあちこちで 2〜3本の株が続けて倒れ 萎れているのを見つけ 防虫網を外してよく見ると 根っこが切られています その辺りの土を指で掘ってみるとご覧の様な 憎っくきコガネムシの幼虫がいます。(体長1.5~2cm) ヨトウムシは 昼間はゴロリと睡眠状態でいますが このコガネムシの幼虫は俊敏で 信じられないほどのスピードで 土の中に逃げ込みます。 この現行犯証拠写真は 右手でカメラのシャッターを押し 左手で 逃げる虫を捕り押さえながら悪戦苦闘しました。

 そう言えば 今年の夏は カナブンやコガネムシ等 甲虫類が大発生していました。 隣の畑では 穫り遅れたトマトの実が 樹の上で 黒く見えるほど 甲虫類が群がっていました。
 更に カブの種を蒔いた この畝の前作は ニンジンと ネギの苗床で マルチを張っていない土がむき出しのままで夏を過ごした場所でした。
 いずれにしましても コガネムシの幼虫の被害を受けたのは始めてで こう言う条件の場所に 秋 種を蒔く時は 直前に農薬を蒔いて土とよく混和しておくことが 絶対条件であることを 今回 教えられました。

 カブは3筋蒔きましたが 特に東端の筋の被害が大きく 真ん中の筋はほとんど被害を受けていません。(最初の写真は 真ん中の筋と その左は西端の筋です その筋には萎れた様子が写っています) 
 間引き菜は食べられませんが カブが グラつかない程度まで 近くの土を掘って 農薬(ダイアジノン5%の粒剤)を撒き 土に混和しました。
 翌朝は 数株の倒れ萎れがありましたが 一方で 畝の表面に 色が赤くなり 丸くなって動きの鈍い幼虫が3匹這い出して ピクピクと引きつっている様子です。(最後の写真です)
 薬効の現れだと思われます。

 その他の 秋蒔き葉物の記事は 次回に掲載します。

火曜日, 10月 04, 2011

10月に入った秋野菜

 秋野菜は あの台風のダメージから回復して 頼もしい姿になってきました。
 台風15号は 珍しく東京の北を 時速50キロ以上の猛スピードで東北に通り過ぎたために この辺りは 進行方向の右側に入り あまり経験のない南西の暴風が吹き荒れました。
 定植後 間もなかった秋野菜達は 防虫網トンネルの中に入っていましたが か弱い葉は 風で吹き千切られたり 茎が折れたりしました。
 台風の時 白菜は 9月の強い日差しを和らげるために防虫網の上に黒寒冷紗を掛けた2重トンネルの中に入っていましたし まだ 背の低いことも幸いして 比較的ダメージは軽微でした。
 最近 市販されている白菜苗は 黄芯やミニが流行ですが この白菜は毎年 変り映えのしない「無双(早生種)」と「王将(中生種)」です。
 何年も前に買った種を 8月22日 ポットに蒔いて ヒョロヒョロ苗を育てました。
 先日 黒寒冷紗を外し 追肥も終えました。
 これからの時期は ヨトウムシとの戦いです。

 カリフラワーは 支柱がしっかりしていて 茎は無事でしたが 葉は折れ易く 大きな葉ほど風を受けて折られ トンネルの片隅に 吹き寄せられました。
 その後 追肥を施すと 急回復してきました。
 このカリフラワーは早生で あまり早く定植すると 花蕾は大きくなるが やはり 寒さが深まってから収穫した方が品質はいい様に思い 今年は 苗作りの開始を 例年より10日以上遅らせ 8月6日にポット蒔きしました。
 果たして 結果は如何でしょうか。

 次のスティクセニョールも カリフラワーと同じ日にポット蒔きしました。
 こちらは カリフラワーに比べると 節間が広いために 背が高く 風当たりが強く トンネルの中で ⒈本折損しました。
 市販のブロッコリー苗を買って 補充植えをしました。
 奥の方に見える 緑色の株は カキ菜です。 
 同じ日に種を蒔き 苗作りをしましたが スティックセニョールに比べると生長は格段に早く 既に トンネルの中で葉がいっぱいに茂っています。
 脇芽をカキ採るのは2月ですから その前に トンネルから出して 冬を過ごさせます。

 次は 畑の隅に植えた サトイモです。 
 学校の農園に植えた種芋を2個 ここに植えてみました。
 一つは 芋は大きいが 少し異形な種芋で もう一つは鍬で三分の一ほど切られた種芋です。
 両方とも 順調に発芽しましたが 大きい方の芋は同時に 同じ様な勢いの芽が3つ出たので そのまま3本立てで育てて見ることにしました。
 奥のほうにある 切られた芋は やはり葉の数も 大きさも劣りす。
 台風の時は 支柱を建てて 倒伏を防ぎましたが 葉は強風でボロボロです。 しかし 新しい葉が勢いよく出ていますので もうしばらく育ててみます。
 果たして 土の中はどうなっているのでしょうか? 

木曜日, 9月 08, 2011

秋野菜 ・ 世田谷の豪徳寺

 農園の「鷹の爪」が真っ赤に色付いて 朝日に映えると実にいい色です。
 今朝の空は 折から 雲が消えると 夏空とは違って 乾いた青空が のぞきました。
 その青空と真っ赤なトウガラシとの取り合わせに秋を感じます。
 一瞬のチャンスにシャッターを押しました。
 「秋の一日 春の十日」と言われる通り 秋野菜は待った無しに追いかけて来ます。
 ブロッコリーとカリフラワーとカキ菜のポット苗は 既に定植時期に育っていますし
 白菜のポット苗も 本葉が出始め 今月の20日過ぎには定植期になります。
 種蒔き野菜は 大根が今週中に カブは20日頃に また 第1回目のホウレンソウ・小松菜などの葉物類もその頃に 種蒔きを予定しています。


 ネットで航空写真を見ますと 世田谷区の中ほどに こんもりと樹木の生い茂った地域があります。
 かって 世田谷城があった所で 現在は 東急世田谷線が市電スタイルの小さな車両で 駅員の居ない停留所を一つずつ辿りながら のんびりと走っています。
 その一画に 曹洞宗 豪徳寺があります。
 江戸時代の始め 彦根藩2代目藩主であった井伊直孝が 武蔵野に遠乗りしているとき 俄雨に遭い 大木の陰に入りました。 そこに一匹のネコが門前に現れて 招くので 招きに応じて 院内に入り 住職と話し込んでいると 先ほどの大木に落雷があり 一行は一命を救われました。
 以来 直孝は住職と親交して 同寺は 井伊家の菩提寺なりました。
 本堂の傍らには あちこちから寄進された招き猫が保管されています。

 本堂を左奥に進むと 井伊家 歴代の墓域があります。
 先の 東日本大震災で被害を受けたようで あちこちの墓石は 修理された痕跡が見られました。
 その中の一つに 井伊直弼の墓があり その墓石には『萬延元年閏三月二十八日』と記されています。
 桜田門外の変は三月三日です。
 当時の公式記録には「井伊直弼は急病を発し暫く闘病、急遽相続願いを提出、受理された後に病死した」となっているそうです。
 ここで こんな話を聞きました「大石内蔵助が恐れたのはこれです。吉良上野介を討っても首があれば幕府はこれができます。 内蔵助の懸念が その160年後に現実のものとなったのです」と。
 現代でも ありそうな話です。