木曜日, 4月 16, 2009

目黒のらかんさん

 夜来の雨があがって 風薫る5月のような一日でした。
目黒の五百羅漢寺と 隣の不動尊と 都立 林試の森公園を散策してきました。

 ここ目黒の五百羅漢像は 禅僧 松雲元慶の偉業に依るものです。
 京都に生まれ 腕のよい仏師であった松雲元慶は 23歳の時に出家し 鉄眼禅師の弟子になりました。
  そして 耶馬渓の羅漢寺で五百羅漢に出会ったことが 羅漢像を彫りたいとの強い願いを抱かせることになりました。
 師の許しを得た 松雲元慶は江戸に下って「五百羅漢造立勧化」の旗を揚げ 江戸中を托鉢して廻り 苦労を重ねるうちに 世の信を得るようになりました。
 次第に寄進の縁も広がり 積年の願いであった 羅漢像彫刻を始めるようになりました。 
 江戸の多くの人々から浄財を得て 彫り続けること15年余り「生き羅漢」と異名を取るほど 羅漢像彫刻に打ち込み 530数体の群像を 一人で彫りあげました。 この数字は 盆暮れ 休み無しで 約十日で一体のペースです。
 元禄8年(1695年) にはその功績が認められて 本所五ツ目に土地を賜り 寺が創建されました。 将軍 綱吉や吉宗の援助も得て 寺は大いに繁栄し 五百羅漢は「本所のらかんさん」と言われて 人気を集めました。
 しかし その五百羅漢も 時代がかわり 明治に入ると 廃仏毀釈の流れによって 二度の移転をよぎなくされ 明治41年に 目黒のこの地に移ってきました。 その後 大正 昭和の間は 更に衰退して 雨露をやっと凌ぐだけの無惨な状態が続きました。 五百羅漢像も飛散の憂き目に遭い 今は305体の像が残って ここに安置されています。
 昭和56年に 現在の近代的なお堂が完成し 「目黒のらかんさん」と親しまれるようになりました。

 梅原 猛 さんが 半世紀以上前に「羅漢 (仏と人のあいだ) 」と題する本を著されています。
 その中で ”羅漢も もともとは中国産の像である。そして、異国風の仏像の崇拝には、いつも緊張が伴っている。日本の仏教信仰には、過度に緊張して 背伸びした姿があった。その姿は、明治になって外国文化を受け入れる場合も続いた。” ところが 五百羅漢像たちは "そういう文化移入の緊張からはまったく解放されているようである。 民衆のくつろぎ、一服したところの姿が、ここにある。 作者は、羅漢の名において、人間を、ごくふつうの人間をつくったにすぎない。” このやうなことを書いておられます。
 人っ気の無い 静かな堂内で 普段 其所いらで見かけるような実物大の顔 それぞれに対面していると その羅漢さんから 語りかけられるようで 落語「五百羅漢」の情景がリアルに浮んできます。(残念ながら 堂内の羅漢像は 写真撮影禁止になっています。)

 羅漢寺の隣にある目黒不動尊は 3代将軍 家光の威光で 併せて五十三棟に及ぶ華麗なる伽藍の復興が成し遂げられ 当時は 目黒御殿と称されるほどでした。
 現在も 各お堂は極彩色が施され 往時の繁栄を彷彿とさせるものがあります。
 この不動尊は 江戸五眼不動のうち 東海道(黒色)沿いに在ることから「目黒不動」と呼ばれ 目黒の地名も ここに由来する とも言われています。
 写真は 参道 入口の仁王門です。 広い境内のあちこちの八重桜が満開で 彩色のお堂にフィットしていました。

 往時は 目黒不動尊の門前町として栄えたであろう商店街を通って ワンブロックほど歩くと 林試の森公園の鬱蒼とした森に入ります。 此所は 元「林業試験場」で 東西700m 南北250m 一周するのに45分かかる 広さがあります。
 木漏れ日の道を通ると 心地よい風が吹き抜けて 23区内に こんな別天地があろうとは 夢の様です。
 写真は 外来種の高木が 数多く植え込まれている地域に立つ 高さ30メートルを越す 白い木肌の巨木です みずみずしい新芽が吹き出しているのを 撮りました。 

12 件のコメント:

waka3 さんのコメント...

桜もすっかり葉桜となってしまいましたが、あちらこちらと出歩くには大変良い季節になりました。
羅漢像は出かけた折に希に見かけることがありますが、そのほとんどが石仏のものでしたが、どうやら目黒の羅漢さんは木彫りのようですね。
きっと羅漢さんの夫々の表情は石仏の比較的に無表情なものとは違って、豊な表情をされているのでしょうね。

M. Sasagawa さんのコメント...

waka3 さん、いい季節になりました。 
 こちらのJAやHCは、今日が夏野菜苗の売り出し日で、皆さん苗を買って来て植えましたので 急に畑が賑やかになりました。

 目黒の羅漢像は木像です。
 表面の金箔や彩色は ほとんど残っていませんが、その方がリアリティがあって 見甲斐があります。 
 写真をここにアップ出来なくて、大いに残念です。

 五百体以上も彫られているので、出来のいいのや それほどでないのがあり、それが また面白かったです。

ポタ さんのコメント...

目黒不動の名だけは知っていますが、まだいったことはありません。お寺もいわれを知ると面白いですね。
私も、やっと畑の準備を始めました。sasagawaさんからははるかに後れをとっています。ジャガイモだけはまともに作っていますので、昨日芽かきをしました。

kimama さんのコメント...

新緑がまぶしいほどです。白い木肌といいますと、白樺ではないようですが??・・・23区内にも皇居を筆頭に結構、緑地が残っているのは嬉しいですね。
仁王門の朱と八重桜も、見ごたえありますね。よく色が合って感心しました。
人と仏の間を羅漢と表現するのですね。とても勉強になりました。羅漢様は石仏が多いと思いますが、530数体は木彫りなのでしょうか。

M. Sasagawa さんのコメント...

ポタ さん:
 五百羅漢は面白いです、今度は 川越の喜多院に 五百羅漢を見に行こうと思っています。 あそこの羅漢像は、多くの人が造ったようですから、目黒とはまた違った 羅漢像それぞれの見比べが出来て面白いと期待しています。

 畑の方は、お忙しそうですから、ぼつぼつおやり下さい。
 ただし ブログの更新はよろしく。

M. Sasagawa さんのコメント...

kimama さん こんばんわ。
 白樺ではありません、すごく背の高い木です。 名札が立っていましたが、調べても 名前はよく判りませんでした、不悪。

 不動尊のお堂は いずれも塗装が行き届いていて 見事です。
 屋根の格好も、江戸時代になると いろんな形のものが取り入れられて、朱塗りと白壁で、より効果的に見えました。

 梅原さん らしいサブタイトルのつけ方ですね。
 日本本来の宗教は、民間宗教の中にあるのかも知れません。
 日本の歴史の中で、民衆が表に出て来たのは 江戸の中期以降ですから、この羅漢さんにしても、街角のお地蔵さんにしても、残っているのを見ますと、当時は信仰心に裏打ちされた文化の いい時代だったのですね。

nananan さんのコメント...

目黒の五百羅漢行った事がありませんでした。
ノミのおもむくままに、仏像を掘るというのは羨ましい生き方です。江戸中を托鉢して廻って信を得たんですね。
305体の群像が残っているのは是非見たくなりました。
東京は、緑が突如広がる大空間があって、メリハリがあります。カラクリのようですね。

M. Sasagawa さんのコメント...

nanana さん おはよう御座居ます。
 この散策コースは、足の便も良く 歩く距離もほどほどですから、グーです。
 行きはJRの目黒から、帰りは東急目黒線の武蔵小山から乗ると、行者坂の上りを通らなくて樂です。

 松雲禅師の生き方は見事ですね、「ワンフレーズ」が全盛の現在、その奥にあるものこそを大事にする教えは貴重ですね。

 「林試の森」も木々が大きいので、いい空間です。気候のいい時期に居ると、都会生活のクリーニングになります。

リラ さんのコメント...
このコメントはブログの管理者によって削除されました。
M. Sasagawa さんのコメント...

リラ さん おはよう御座居ます。
 ご親切なコメント有り難う御座居ます。
 予定が立ちましたら、前広にメールをさせて頂きます。

 アドレスはコピーしましたので、コメントは削除させていただきました。

モンカー さんのコメント...

中目黒には大学1年の頃少し住んでいたのですが近くにこんな素晴らしいものがあったのですね。500羅漢とは凄い数です。一度行ってみたいです。
25日からETC割引を使って京都で社寺を見に行ってきます。今度はタラも連れて行きます。

M. Sasagawa さんのコメント...

モンカー さん、私も久し振りで行ったのですが、目黒川の辺りはマンションが林立していて、昔の面影はありませんよ。
 京都・奈良の仏像とは、全く違う像です。
 鎌倉仏のリアリズムとも、また別の趣があり、これを一人の人が 一気に彫り続けたことに感動しました。
 春の京都、いいですね。私は洛北に3年間下宿していましたので、春の糾の森を毎日歩いて通りました。 今 想えば、いい時代 いい処でした。